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高山正之の異見自在
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ジュネーブ条約と捕虜待遇 旧日本軍以外、どこが守った?
[2002年02月12日 東京朝刊]
POWとは、ジュネーブ条約で不当な尋問や拷問から保護され、良好な給養(食事)や収容施設が保証される。
つまり、この解釈によってアギナルド軍の捕虜は拷問してもいい、処刑してもいい。何でもありになった。
米上院公聴会での証言によると「水療法」という拷問がよく行われたという。
二十リットルの海水か泥水を飲ませ、それでも白状しないとその水腹を殴る、
あるいは寝かせて巨漢の兵士が腹の上に飛び降りる。
「口から二メートルも水を噴き上げて」絶命した記録もある。
非協力的、というだけで十一人の道案内人がなぶり殺しにされたとか、
米兵が殺されると、同数の捕虜が見せしめ処刑されたとか。
これで「約二十万人が虐殺」(公聴会)されたが、それを正当と主張する根拠は
マッカーサーが下したジュネーブ条約の適用解釈によるものだ。
ちなみに彼の息子が後のGHQの主、ダグラス・マッカーサーになる。
この息子も日本の無条件降伏のさい、英国のモンゴメリー将軍とともに日本軍捕虜の待遇に妙な解釈を打ち出した。
降伏した日本兵をPOWと呼ばず、JSP(Japanese Surrendered Personnel=降伏日本軍人)と命名したのだ。
理由はひとつ、POWにすればジュネーブ条約によって何十万もの兵士に良好な収容施設と食事を与える義務が生じる。
しかし、JSPにすれば「日本軍指揮官が軍紀、及び給養の責任を負う」ことになって、
せこい話だが、経済的な負担を免れるからだ。
だから日本兵は自分たちで捕虜収容所を建て、畑を耕して飢えをしのいだ。
ベトナムのカプ・サンジャック、シンガポールのチャンギーなどその例に暇(いとま)がないが、
中には人も住まないレンパン島に収容というか放置され、食糧もないまま一千人余が餓死したケースもあった。
父アーサーの血を濃厚に受け継いだやり口である。
この戦いの初めにはコレヒドールで七万人の米兵が投降した。
バンドンでは三千人の日本軍が攻撃しただけで怖(お)じけづいたオランダ兵八万人が白旗を掲げた。
いきなり大量の捕虜を抱えた日本軍は貧しい補給の中から、それでも何とか良好な給養を心掛けてきた。
しかし戦後の戦犯法廷では連合軍捕虜に満足な食事を出さなかったという理由で多くの日本兵が処刑された。
「降伏軍人」という責任逃れの途があるなら、そうすればよかっただろうが、
ジュネーブ条約の生みの親、国際赤十字社はそういう無責任放置はホントは条約違反だと小声で言っている。