【慰安婦問題】シーファー米大使を手玉にとった“従軍慰安婦3人”の前歴…ころころ変転する証言/週刊新潮[03/29]★2at NEWS4PLUS
【慰安婦問題】シーファー米大使を手玉にとった“従軍慰安婦3人”の前歴…ころころ変転する証言/週刊新潮[03/29]★2 - 暇つぶし2ch229:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
07/05/01 20:23:16 RHypOh5k
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
『T子(11歳武蔵野小学5年生)R子(同)A子(同)の3人は、10月武蔵野の林の中を仲良く手をつないで歩いていた』
『キャンプ・所沢近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子が襲われ、次々に米兵の餌食になってしまった。
彼女たちのスカートは切られ、何が起こったのか全然わからなかった。
R子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと米兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った』(要旨)
このような事件が全国で続発している中で、1946年4月最もおぞましく恐ろしい事件が東京・大森の中村病院で起きました。
米兵200~300人が3台のトラックで分乗してきて1時間近くも病院中を荒らし、婦人患者のうち重傷者を除く40数人と看護婦17人を、
他に15~20人の付添い婦と雑役婦を陵辱して行った事件です。
『彼らは大病院に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人達の布団を剥ぎ取り、その上に乗りかかった。』
『2日前に生まれたばかりのフミ子ちゃんは、1人の兵士に床に蹴落とされて死んだ。』『M子などは続けざまに7人の兵士に犯され、気絶した。』
そして、『裸で転がっている間を通って、侵入してきた時と同様、彼らは表玄関と裏口から引き上げていった』と、
この問題を1948年から調査を開始し、本人やその家族、
事件の目撃者など千人にも及ぶ面接に基づいて占領下の空白時期をまとめた五島勉氏の著書『黒い春(米軍・パンパン・女たちの戦後)』(1953)に書かれています。



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