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RAAは東京都内および熱海だけの限定的な組織だったが、首都圏のみならず、
他の府県でも警察が独自の売笑組合を組織していた。当局は、ベッドやふとん
の用意はもちろん、長襦袢や腰巻、洗面道具や桜紙、さらに食糧やコンドーム
(「突撃一番」という名前の旧日本軍の官製品)の特別配給までして大々的に
バックアップした。
そうして小町園は九月八日から営業を開始するはずであった。しかし八月二八日、
一般の日本人でさえ知らないはずのこの施設をかぎつけた数名の米兵が乱入。
従業員を暴行した上、女たちを強姦したのである。時間にして三十分程度だった
らしいが、慰安婦の半分は処女で外国人を見るのもはじめてという者ばかり。
地獄の釜がふたを開けた瞬間であった。それでも中居が米兵からひとり百円ずつ
(当時の相場の二十倍)集めたというが、そんなものが何になるだろう。
翌日から小町園には連日連夜、米兵が押し寄せてきた。GIはガムを噛みかみ
順番待ちをした。部屋うちではなかば監禁状態の女たちが、休む間もなく兵士に
のし掛かられていた。性風俗ライターの平岡敬一は、小町園で働いていたメアリー
という名の娼婦から「最高記録は一日で五十五人。悲しいとか、情けないとか、
そんな人間らしい感情は消えたわよ」と聞かされたそうだ。慰安婦ははじめは
三十人いたが、その半数は三ヶ月もたなかった。すぐ百人に補充されたが、
いたずらに犠牲者を増やすばかりだった。
RAA情報課長だった鏑木清一氏は
<生娘が黒人や白人の相手をしたわけだから、かわいそうと言えばかわいそうだった。
たしか、三井銀行の事務員をしていた娘さんだったが、黒人兵が初めての客で、
気が変になったんだろうね。京浜急行の電車に飛びこんで亡くなったね。でも、
これは秘密にしなけりゃいけないから、私たちが密葬したよ。かわいそうなこと
をした。でも、彼女たちのおかげで少しは日本の女性も守られたんじゃないかな。
そう思わないと、彼女たちは浮かばれんよ>(いのうえせつこ・著『進駐軍慰安所』より)
と述懐している
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