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在日の考古学者、李進煕氏は、1972年に「碑文改竄説」を唱えた。
氏は、解読に参謀本部が深く関わっていた事と、石碑の全面に石灰が塗られているという報告に着目した。
そして、酒匂は日本に持ち込んだ「拓本」の一部をすり替え、
その後、参謀本部がそれを隠すために現地に多数の工作員を派遣して、
碑の表面に石灰を塗って碑文を改めたと主張した。
さらに日本軍部がこの事実がバレるのを恐れ、
碑文そのものを2度にわたって捏造して隠蔽作戦を実行したという疑惑も付け加えた。
なお李進煕氏は、日本軍が「来」「渡」「海」など合計25文字を石灰で作ったと主張した。
しかし、当時は実地調査が困難で、李氏の説も、
主として拓本や戦前に現地に行った学者の手記などの状況証拠から立論された仮説であった。
その後、地元中国吉林省の王健群氏が、
詳細な調査を行い、石灰を塗ったのが拓工の初天富・初均徳親子である事を突きとめた。
そのほかにも多くの根拠をあげて、「石灰塗布作戦」が実在しない事を証明した。
そこで、石灰が塗られる前にとられた「原石拓本」が、
不鮮明であるが、もっとも高い資料的価値を持つ事になる。
原石拓本によると、辛卯年条の碑字は、
すっかり碑字が隠滅してしまった二文字を別にすると、
不鮮明な「海」字以外は、全て確認する事が可能である。
また王健群氏によれば、「海」字も原碑で確認出来るという。
こうして多くの研究者の努力の結果、辛卯年条の信憑性が改めて確かめられたのである。
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