07/03/20 22:34:55
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(ソウル=聨合ニュース)「漢武帝は衛氏朝鮮を滅ぼした後、その後に郡県制をしいた。秦国(訳注:漢
国の誤りか)が衰えて分裂した後、これを継いで新羅、百済、金官(伽耶)三国が形成された(人民出版
社出刊'世界通史'437ページ)」北東アジア歴史財団(理事長キム・ヨンドク)は最近、中国歴史教科書
の韓国関連記述の問題点を分析した研究で「中国歴史教科書の韓国古代史記述問題」「中国歴史教科
書の民族・国家・領土問題」を出版した。
中国の中・高校歴史教科書の古朝鮮記述を分析したオ・カンウォン研究員は「中国歴史教科書の記述
をよく見れば、古朝鮮は野蛮、中国は文明世界という意識がある」「未開な古朝鮮社会を中国の文明
人が開化させたというイメージを植えている」と主張した。
中国の教科書はどれも一律的に「紀元前2~3世紀、古朝鮮の領域に多くの種族が散らばって暮してい
た」という記述のすぐ後に「衛満(燕国出身の亡命客)の(衛満)朝鮮建国」と記載したことが明らかに
なった。これは、衛満朝鮮以前には朝鮮半島に政治的な実体がなかったとか、外部要人によって古朝
鮮が形成されたという認識を植えつけることになる。
オ研究員は「私たち側の史料はもちろん、史記も戦国策、鹽鐵論、魏略など中国側の記録を通じて衛
満朝鮮以前に古朝鮮が成立していたことが分かる。これは意図的に前後の脈絡を切ってしまった記
述」と言った。また、中国の中・高校歴史教科書は燕国と秦の国の長城の東の終点を大同江あるいは
清川江河口と表記したことが確認された。燕・秦長城の東端は古朝鮮領域を推定することと直結する。
中国側の史料的根拠は太康地理志と通典で、秦の国の長城が楽浪郡遂城県碣石山で始まるという記録
だ。しかし、実際に楽浪郡遂城県に至る長城築造は計画だけ立てられただけで実行はできなかった。
中国で燕・秦長城遺跡と主張する大寧江(清川江の支流)一帯の長城は最近の調査の結果、高麗時代の
物と明らかにされた。
中華史観に即した歴史記述は、大学歴史教材に至ればもっと深刻になる。人民出版社が発行した大学
歴史教材'世界通史'は韓国の三国時代を'新羅、百済、金官(伽揶)'の三国に規定した。この教科書は
高句麗を「漢玄兎郡管轄下の中国少数民族であり、紀元前37年政権を樹立した後にも東漢、魏晋南北
朝、隋・唐に至るまでずっと中原王朝に隷属した中国少数民族地方政権('世界通史'442ページ)"と主
張した。羅当戦争は地方政権である高句麗が分立傾向を見せると中央政府である唐が単独でこれを戒
めた後、直轄領を作ったというふうに記述した。
また、日帝植民史観に即した記述も確認される。'世界通史'は4~5世紀、伽耶地域が日本の支配下に
あったという任那日本府説を入れて「伽耶は4世紀に日本の侵略を受けた」と書いている。任那日本府
説は私たちの学界はもちろん、日本学界でさえ廃棄された学説だ。中国大学の歴史教材を分析したキ
ム・ヒョンスク研究員は「中国は1990年代中盤から高句麗が中国の地方政権で、韓国史ではなく中国
史に属すると主張して来た」「東北工程による波紋は短期間に容易に解決できないことを示してい
る」と説明した。
キム研究員は続けて「東北工程は学問的に対応するのが原則だが、教科書は学問のわくを越えて一般
国民の歴史常識があべこべになるので、学者間の討論よりずっと深刻な問題と受けとらなければなら
ない」と強調した。
ソース:聨合ニュース(韓国語)"中教科書 '古朝鮮=野蛮,三国=新羅・百済・伽揶'"
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