07/03/03 18:28:38
中国・反日運動の深層 なぜ若者の怒りは日本に向かうのか
「申し訳ない。出張から戻ったばかりで、夕方また北京を離れなければならない」。
盧雲飛(ろうんひ)(31)は、約束より1時間も遅れて姿を見せた。ビジネス街の
一角にあるレストラン。ガラス張りの店内を冬の午後のやわらかな日差しが包む。
盧は北京のIT企業に勤める、新しい「中産階層」だ。メタルフレームの眼鏡をかけ
ビジネスマン然とした彼だが、名刺には「愛国者同盟網」総責任者とあった。小泉前首
相の靖国神社参拝に反対し、保釣(尖閣諸島の領有権主張)をインターネットで呼びか
ける「反日運動」の闘士なのだ。
「われわれは反日団体ではなく、普通の日本人は敵視していない。日本の右傾化、
軍国主義化に反対しているんだ」。子供時代は、囲碁に熱中し、日本の棋士を崇拝、
アニメのファンでもあった「哈日族」(日本大好き族)。日本への視線を大きく変えた
のは、都市部の若者に急速に広がったインターネットだった。
「ネットで海外のニュースを見るようになり、小泉首相の靖国参拝を知った」「もし
私の祖先があなたの家に強盗に入り、危害を加えたのに、その彼らを私が崇拝したら、
あなたはどう思う?」
■国内矛盾を転嫁
5年前、彼は仲間と愛国者同盟網を立ち上げた。自分たちの怒りや不満を文字や行動
で表現する、それが「憤青(怒れる若者)」であり、自分もその一人だという。「憤青
をならず者呼ばわりする人もいるが、そんなことはない。毛沢東や魯迅もその時代の憤
青だった」。盧は料理には目もくれず、とうとうとしゃべり続けた。
1990年代半ばから、中国では彼ら憤青を中心に「愛国主義」と呼ばれる民族主義の
熱気が高まった。その矛先はまず米国に、次いで日本に向いた。一昨年4月には全国で
「反日デモ」が発生、「愛国無罪」を叫ぶ群衆は日本料理店や大使館に投石し破壊した。
彼らが投げた石は、本当に日本に向いていたのだろうか。
「禁止されている街頭デモが久しぶりにやれるという解放感。しかも日本批判なら
政治的リスクは少ない。そうした判断が過激な行動に走らせた」と分析するのは、民族
主義を主張する評論家の王小東(おうしょうとう)(51)。
北京で米メディアの記者をしながら、ネット・ニュースを発行する安替(あんたい)
(31)は「政府が国内矛盾を外へ転嫁した結果だ」とみる。89年の天安門事件を境に、
国民の心をつなぎ留めていた社会主義への「信仰」が揺らいだ。危機感を覚えた共産党
が代わりに植え付けたのが、抗日戦争の記憶をよみがえらせる愛国主義だった。
「われわれの意識の底には、日本の犠牲者という強い被害者感情がある」。“日中友
好”というスローガンによって覆い隠された苦い記憶は、政治の風向きの変化で表舞台
に躍り出た。その担い手が憤青だと安替は説明する。
南京で生まれ育った安替も憤青だった。親や祖父母から日本軍の南京侵攻の話を聞い
て育った。「大学を出たばかりのころはネットで反日を代表するような存在だった」
だが、ジャーナリストとして知識や経験を重ねるにつれ「日本は中国が直面する問題
の主要な原因ではない」と考えるようになり、日本への怒りは次第に薄れていく。
(産経iza) URLリンク(www.iza.ne.jp)
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