07/03/02 15:14:04 pXYMmHXx
常に日本や中国など周辺の強大国への劣等感(コンプレックス)に苛まれる韓国人は、
何とかしてせめて道徳的には日本人より優位に、上に立ちたいと
願ってやまない。 そういう状態で日本を「説教」してる間だけは、
なんとなく自分たちが日本よりも上に立っているような気分を味わえるのであり、
これは夢のようなこと。
しかし、そのためには、「自分たちが韓国人が、一点の曇りも無い完璧で善良な被害者」
であり、かつ、「日本人が、一点の曇りも無い完璧で悪辣な加害者」 でなければならない。
そうで無ければ、自分たちが反撃を食らい、不利になってしまうからだ。
自分たちは、一方的に安全な立場から反撃を許さず攻撃するのが好きなのであり、
相手と同じ土俵で対決するのは、できれば控えたい。 反撃を受けるのは嫌いなのだ。
だから、「蛍の墓」や「硫黄島からの手紙」などで、「ああ、日本人もまた被害者でもあるのだな」
「日本人にもいい奴らは大勢いたんだ」などという客観的事実が知れ渡っては、実に困る。
また、「ヨーコの物語」やその他の資料から、実は一方的な被害者だと思われていた韓国人も、
意外と悪いこともしていたし、加害者の立場になることもあった、などという事実が現れては、
「韓国人の無謬性(完全無欠な被害者)」という前提が崩れてしまう。
それではあたかも、泥棒が他人に対し、「おい、人の物を盗むなよ!」と説教するようなものであり、
道徳的な後ろめたさ、説教できる優位な地位を失った恥ずかしさで消え入りたいほど赤面してしまうからだ。
道徳的な説教をしている者にとって、致命傷となるのは、逆に自身が道徳的に非難されることなのだから。
だから、その「幻想・完全性」を守る為に、どのような日本人=被害者説/韓国人=加害者説も
抹殺しなければならない。 そうしないと、道徳的上位性が崩れて、日本人に勝てるものが無くなってしまう。
日本人は、弱者や女児なども含めて全て「加害者」だ、 というストーリーを必死で維持しなければ、
自分たちは負けてしまうのだ。