【慰安婦問題】 「河野談話」に対する河野氏本人の説明~証拠はなかったけど、そういうことがあった気もするので強制性を認めた★2at NEWS4PLUS
【慰安婦問題】 「河野談話」に対する河野氏本人の説明~証拠はなかったけど、そういうことがあった気もするので強制性を認めた★2 - 暇つぶし2ch1:依頼718@ちゅら猫φ ★
07/03/01 13:08:52
■「河野談話」に対する河野氏本人の説明

2007/02/27 15:00
URLリンク(abirur.iza.ne.jp)

 米下院に提出された慰安婦問題をめぐるでたらめな対日非難決議案をきっかけに、いま再び平成5年の
「河野官房長官談話」が注目を集めています。この談話のいい加減さや弊害については、イザの中でも
たくさんの人が指摘されていますが、それでは肝心の河野洋平氏自身はどう考えているのか。

 産経はこの問題について、過去に何度か河野氏にインタビューを申し込みましたが、いろいろと理由をつけて断られています。
そこで、河野氏が自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(現在は会の名称から「若手」がとれています)で
平成9年に講演した内容を、ここで紹介したいと思います。
ちょっと古いですが、河野氏の考えはそうは変わっていないと思います。
これは、同年に出版されたこの議連の活動を記録した「歴史教科書への疑問」(展転社)という本に収められているものです。

 ちょっと面倒かもしれませんが、拙ブログの昨年8月28日のエントリ「河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言」と
合わせて読んでいただければ、より分かりやすいかと思います。原文はもう少し長いので、少し端折りました。

 《河野氏 (前略)こうした問題は決していたずらに時間をかけてゆっくり、いわゆる引き延ばすようなことをすべきではないと。
調査はやはり速やかにやるべきだということで調査を行ったわけですが、その調査の段取り、それから何省の何課にどういう
資料があったかというのはいま十分申し上げるだけの資料は私の手元にはありませんが、官房長官として外政審議室を督励をして、
関係各省、それからたしか役所だけではなかったと思いますが、資料がありそうな場所は相当幅広く当たったことは事実でございます。

 そこで、あったか、なかったか、という問題になると、はっきりあったと言えるのは、いわゆる慰安所というものがあったということは
はっきりいたしました。慰安所というものがあって、なぜ慰安所をつくったかについてはいろいろ理由もあるわけですが、それは置くとして、
慰安所というものがあって、そこに働く女性がいたということもはっきりしている。

 それがはっきりして、慰安所があって、いわゆる慰安婦と言われる人がそこに働いていた。強いて言えば「働かされていた」と
言っていいかもしれません。いや、それは公娼というのがあって、ビジネスでやっていたので、という説明もありますが、
慰安所における女性に対する管理をどういうふうにするかというような資料などを見ると、やはり管理の下に仕事をしていた。
自由はかなり拘束されていたと思える部分がある。

 その拘束されていた理由はいろいろあって、例えば情報が漏れるといけないとかいうことも理由の一つだと思いますし、
それ以外の理由もあったかもしれません。いろいろな理由があって自由が束縛された。本人個人の意思でどこにでもいける、
つまり、もういやになったから辞めます、ということが言えたかというと、それはどうもできない、という状況まではっきりした。

 しかし、それははっきりしたんですが、皆さんが一番問題と考えて指摘をしておられる、その女性が強制的に連行されたもので
あるかどうかということについては、文書、書類ではありませんでした。女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思の
いかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかと言えば、そんなものは存在しなかった。
調べた限りは存在しなかったということは申し上げていいと思うんです。

 ただ、そこで考えなければならないことはそういう資料がなかったということは、資料がないんだからなかったんだ、と決められるかどうか。
逆に言えば、資料がなかったのにあったと言えるかと言えば、これもまたその逆でございまして、言えることは「資料がなかった」ということは
事実としてはっきりさせておかなければいけない。

>>2以降に続く


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