07/02/24 17:09:42
■=日本メディアの独島関連報道に対する北東アジア歴史財団の反論文
日本の山陰中央新聞や共同通信などが、『竹島問題で韓国側主張覆す古地図見つかる』という
記事掲載(2月22日インターネット版)
その証拠資料として韓国居住のアメリカ人が、ソウル大学の奎章閣(キュジャンカク)で発見した
と言う古地図3枚のうち2枚を取り上げ、韓国の言う『于山島(ウサンド)が独島ではなく、鬱陵島
周辺の竹嶼(竹島)』と主張。
■=日本の新聞記事に対する反論
(1)『年代不詳の鬱陵島の地図について』
▼最初に年代不詳と言った地図は1711年に鬱陵島の捜査官・三陟営将だったパク・ソクチャンの
描いた物。
=『所謂(いわゆる)于山島』と言う部分は、鬱陵島の北にある現在のサムソン岩や象岩等と違い、
鬱陵島の南側に4つの島嶼と一緒に輪郭だけ表示。ところが実際の鬱陵島の南側には地図に
出ている島々に該当する島が無く、これは探査の過程で具体的な観察で描かれたと言うよりは、
伝えられて聞いた話を基に描いたと推定される。
=『海長竹田所謂(いわゆる)于山島』は捜査官が具体的に調査をせずに、海岸に沿って長く竹が
ある竹嶼(竹島)と、当時の安竜福の活動を通じて明確に現れた竹島(独島)を描いた物と推定
される。
■=当時の我が国は独島(于山島)の存在を確実にに認識していた
=これは、1711年にパク・ソクチャンの鬱陵島探査の直接的なきっかけとなった安竜福の活動を
通じて明確に判明~最近(2005年)、安竜福の第二次渡日活動に関する調査の報告書が日本の
隠岐島で発見されたが、その文書には安竜福が朝鮮と鬱陵島、鬱陵島と独島の町を明確に述べ、
日本で『竹島、松島』と言う島が朝鮮国・江原道(カンウォンド)に附属した『鬱陵島、子山島』と記録。
=すなわちここで子山島(于山島)が、鬱陵島の隣にある竹嶼ではない事を更に明確にする事で、
我が国の独島に対する領土意識を確実に立証。
ソース:NAVER/ノーカットニュース(韓国語)
URLリンク(news.naver.com)
>>2以降につづくかも