07/02/24 17:10:09
>>1のつづき
(2)『1834年の地図について』
■=2番目の1834年地図は1834年、金正浩(キム・チョンホ)の描いた『青丘図』~これも南側に
5つの島が描かれているが、実際の鬱陵島の南側には島嶼が無いし、日本側の主張通りなら
南側4km以内に5つの島のなければならないが、実際には一つの島も存在しない。鬱陵島から
常に見える島は竹嶼(竹島)以外に観音島があるが、その距離は鬱陵島周辺からわずか100m
以内である。
■=金正浩の青丘図が描かれた当時も独島(于山島)が我が国の領土である事を確実に認識
~これは1834年頃に編集された万機要覧(1808年)の軍政の方を見れば、鬱陵島と于山島は
全て于山国の地とし、ここで于山島が日本が言う松島と明確に記録。
(3)『上記の地図は既に解っている内容』
■=日本側の提示した上記の2枚の地図は、既に国内に伝わっているだけではなく、日本の竹島
問題研究会の研究者達も知っている内容~これらをまるで初めて発見された物だとして、地図や
文献の正確な製作年代が分かっている物を年代不詳と曖昧に記述している。
■=また、パク・ソクチャンや金正浩の地図全体を見せず、一部分だけを取り上げて拡大して
見せる事で、2月22日の『竹島の日』を迎えて一件を持ち上げ、日本国民を刺激して独島の歴史
を歪曲しようとする意図意外に考えられない。
(4)『日本の明治政府も独島を韓国の領土と認定』
■=独島を侵奪しようとした日本の明治政府自らが、独島を鬱陵島と共に朝鮮の領土と認める
など、数えきれない程多くの証拠が朝鮮の領土である事を明確にしている。
参照資料:『日本はこのように独島を侵奪した』(北東アジア歴史財団ホームページ)
www.historyfoundation.or.kr
ソース:NAVER/ノーカットニュース(韓国語)
URLリンク(news.naver.com)
(関連スレ)【竹島問題】韓国側の主張を覆す古地図が見つかる ソウル大学奎章閣所蔵の3枚 [02/21]
スレリンク(news4plus板)l50