07/02/16 18:20:39
日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)をめぐり、江戸時代に松島と
呼ばれた当時の竹島の様子を精巧に描いた「松島絵図」の複写を、米子市立
山陰歴史館が所蔵していることが分かった。
絵図は当時、アシカ漁で松島へ渡海していた米子の商人・村川家が江戸時代に
作製したとみられ、日本側が竹島を実効支配していたことを示す資料として
専門家の関心を集めている。
二〇〇五年三月の島根県の「竹島の日」条例制定後、松島を単独で描いた絵図
の確認は初めて。入り江や周辺の岩礁などの位置が、韓国・国立海洋調査院が
二〇〇一年に刊行した現代の竹島の海図とほぼ一致し、村川家が松島全体の
地形を正確に把握していたことがうかがえる。
また、絵図の右上に「松嶋之絵図、嶋之惣廻り壱里之内-」といった表記があり、
二つの島からなる松島の周囲の長さなどが記されている。
隠岐島や韓国・鬱陵島との距離表記もあり、鬱陵島から松島までの距離が
約五十五キロとなっている。しかし、実際は九十二キロで、一六〇〇年代後半の
鬱陵島・竹島周辺を描いた「竹島松島之図」(鳥取県立博物館所蔵)と比べても
距離の違いが大きいことから、島根県の竹島問題研究会の杉原隆副座長
(元松江北高校長)は「まだ村川家が松島へ渡海して間がないころで距離に
ついての認識が乏しく、幕府に対し渡海許可を願い出た一六五六年前後に描いた
ものではないか」と分析。
その上で杉原副座長は「韓国では松島を詳細に描いた絵図は見つかっておらず、
村川家が松島での漁に積極的に関与していたことを示す貴重な資料だ」と評価した。
絵図は、同館が村川家の子孫から借り受け、一九八七年の特別展で展示。
村川家へ返却後、行方は分かっていないが、同館が展示の際に撮影した写真を
保管していた。
絵図の複写は、島根県の「竹島の日」の二十二日から三日間、松江市殿町の
県立博物館内で今春のオープンに先立って臨時開設される竹島資料室(仮称)
で公開される。
(写真)
URLリンク(www.sanin-chuo.co.jp)
米子市立山陰歴史館が所蔵する「松島絵図」の複写(上)と、韓国・国立海洋調査院
が刊行した現代の竹島の海図(下)。入り江や岩礁などの位置がほぼ一致する
ソース:山陰中央新報
URLリンク(www.sanin-chuo.co.jp)