07/02/11 00:43:46 Zm8VIkXW
・抑留所を管理していた第16軍軍政監部は、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り
同意書を取るように指示していたが、なかには違反する出先部隊もあった。のちに「白馬事件」と呼ばれた
スマラン慰安所の強制売春事件は、女性たちの告発により戦後のB,C級法廷で裁かれ、死刑を含む
10数人の有罪者を出す。
・死刑になった岡田慶治少佐は獄中日記を残している。「将校クラブの婦人たちをよく可愛がってやった
つもり・・・・その彼女たちが告訴している。それも嘘八百並べて・・・・時勢が変わったので我々に協力して
いたことになって彼女たちの立場がないのかと想像・・・・起訴状を見ると首謀者にされている・・・・
『そうか飼い犬に手を咬まれたのだ。もう何も言うことはない』と覚悟した・・・・敵の銃口の前に立って、
日本人の死に態を見せてやることではなかろうか」
・いずれにせよ、スマランの慰安所は長くても二ヶ月しか営業していない。ジャカルタの第16軍司令部から
閉鎖命令が届いたからである。
・軍政監部本部に勤務していた鈴木博史大尉は「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞き込み、
山本軍政監へ伝えると、山本は”まずい、すぐやめさせろ”と怒り、翌日に閉鎖命令が出た・・・・後に彼女
たちを集め、申し訳ないことだったと謝罪した」と記憶している。