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反日国ホランドと日本とインドネシアの歴史
1942年2月 東インド(後のインドネシア)の石油資源を奪取を目的に侵攻作戦を開始
同年3月10日 オランダ軍全面降伏。捕虜となったオランダ軍人4万人と民間人9万人は自らが東インド住民を懲罰するために設けた監獄に自ら入れられ屈辱を味う
日本軍慰安所を開設、侵攻前からオランダ軍相手に売春をしていた抑留女性らから慰安婦を募集するも、体臭の臭さから人気がなく2ヶ月後に閉鎖
1945年 日本敗戦後、日本兵2000人が祖国に戻らずインドネシア独立軍に参加
敗戦後オランダは日本兵をBC級戦犯として逮捕、拷問・処刑を行い、連合国中で最多の226人を処刑
1950年 インドネシア完全独立
1956年 日蘭議定書により法的に解決、日本側は当時の金額で1千万ドル(36億円)を「見舞金」名目で元捕虜や民間人へ支払う
1971年 昭和天皇オランダ訪問の際に卵が投げつけられる
1986年 ベトリクス女王の訪日が国内世論の反発により中止
1990年 対日道義的債務基金(JES)が結成、日本政府に対し一人当たり約2万ドルの補償をもとめる運動を展開
1991年 来日した女王は宮中晩餐会で日本の戦争責任に言及、女王の態度に日本やインドネシアから批判の声が上る
1995年 村山首相(社会党)談話で「痛切なお詫びと反省」を発表
1998年 橋本首相(自民党)が改めて村山談話を再確認する書簡を送る
2001年 日本2億5500万円をオランダに支払い「償い事業」終了