07/02/11 09:36:25 gLygSNql
大西とかサヨは仕事してるが、産経のヘタレは全く仕事してねぇな。
361:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 09:45:11 4c5mDwei
>>360
それはネットでは威勢がいいネットウヨネラーも同じ。
匿名だと口先だけで、実際にはまったく行動しない腰抜けネットウヨにだけは言われたくないと思うぞw
あ!嫌がらせの抗議電話やブログ炎上サイバーテロだけは大得意だったねwネットウヨはw
362:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 09:45:35 iNcM1sgz
また国技 捏造 押しかけ か
363:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 09:58:59 vIdGcO7/
韓国人もHonda議員の立場が悪くなるのは困るらしく
英語版Wikipediaで必死にHondaを擁護してる。
URLリンク(en.wikipedia.org)
具体的に言うと、
「日本はHondaの主張に恥じ入ってしまって、まったく反論してません。」
という流れに持っていこうとしてる。
URLリンク(en.wikipedia.org)
どこまでも姑息だよなぁ・・・。
364:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 11:02:50 dJKyCJuE
>>361
いやいや、VANKにはかないませんよw
365:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 16:06:03 XfN+qq3N
在日に選挙権なんて与えてはいけないと言う実例です。
日本が壊れる
366:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 22:16:23 IOi8UUz9
韓国が日本の憲法改正に反対していると言うのは大きな誤解で、実は
日本が憲法改正すれば、すぐに韓国人の態度は友好的態度になる。
つまり、日韓友好のために憲法改正が必要って事。
367:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 22:31:27 uW62cUHU
>>366
そりゃ「事大」。尻尾振ってるだけだ。
奴らに友好なんて概念はなくて、
上下関係だけしか存在しないんで勘違いしないように。
なお、宗主国には「カモ」という水平の関係が存在するが。
368:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 22:59:22 IOi8UUz9
>>367
上になれば友好状態成立って事だから、改憲で良いじゃん。
369:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:04:56 ik0E5H6p
とにかくなんでもいいから在日追い出せないのかな。
なんとか追い出したい。
370:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:15:08 fQ7gjPXX
勝手にしてろ
もしアメリカがこの問題に対して執着してきたら
日米関係に取り返しのつかないヒビがはいるとでも言えばいい
そうなった時困るのはアメリカ。在韓米軍が撤退しようとするなか
日本の基地に頼ってるアメリカは困るだろうしね
371:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:15:33 8RHFL380
創価票もらっている自民党のマネとかやめなよ、雨ちゃん。
372:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:16:33 Sc2FCvLF
もう韓国と徹底抗戦するしかねーよ
国交断絶もマジで視野にいれようぜ
皆、腹をくくれ。
373:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:19:01 k26NhdAD
>>1
あまり 今の時点で在米コリアンは目立つ行動しない方が好いだろうに
下手をすると 朝鮮半島有事の際 彼らがまずい立場に立つのではなかろうか?
374:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:20:57 rEjgl2Hz
韓国潰せ
375:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/02/11 23:39:42 ik0E5H6p
□維新政党・新風HP
URLリンク(www.shimpu.jp)
― 基本主張 ―
URLリンク(www.shimpu.jpn.org)
■正統なる国家主権意識の回復による堂々とした外交と力強い政治の実現を!!
・ 自衛隊を正規の軍隊に/イラクへの自衛隊派兵政府方針の無責任追及/保護国条約・日米安保条約体制からの脱却/非核三原則撤廃
・ 北方領土・竹島・尖閣列島に対する露・韓・中国の侵略企図に実力をもって断固たる対応
・ 北朝鮮の国家犯罪である拉致完全解決に武力行使を辞さず/北朝鮮船舶入港全面禁止、強度の経済制裁実行、政府の不作為追及、国内協力者の追及
・ 台湾・チベット独立支持/台湾正名運動支持
・ 靖国神社参拝への中・韓圧力に屈しない首相公式参拝を
■青少年に正しい公教育を!!
・ 自虐史観からの脱却を/国旗国歌教育の正常化/反日教育の是正
・ 教科書検定採択基準の正常化/小学校の英語教育反対
・ 教育基本法改正/公共心教育の実施/”ゆとり“教育反対/学校の週六日制復活
■社会秩序の回復を!!
・ 自然環境との共生は日本文化の基本
・ 夫婦別姓反対/家制度再評価/行きすぎた男女共同参画法廃止
・ 農は国の大本・伝統的食文化を見直そう/安易な食糧輸入を排し安全性と自給率及び備蓄向上の食糧政策確立/農家への安易な補助金行政から所得保障制度へ
・ 不法滞在外国人への断固たる対処/入国管理体制強化
■勤労努力が報われるシンプルな経済社会システム確立を!!
・ 独立国としての経済主権回復/物づくり実体経済強化
・ 間接税から直接税主体の税制に/相続税・贈与税廃止/税金の無駄使い・対中国ODA中止
・ 政府紙幣発行による国家・地方自治体財政の健全化
・ 年金・健保制度を一元化し、基礎部分の税負担化と自助努力保険の並行システム化
■堕落した利権・保身政治を打破し、真の政党政治の確立を!!
・ 首相公選制反対
・ 厳格な政党法制定
・ 政官界汚職体質是正/行政官僚の公僕意識確立を
・ 国民に大きな負担を強いる裁判員制度反対
■戦後政治の不作為の象徴である現行憲法(占領基本法)破棄、真の主権国家としての正統な憲法を!!
・ 戦後体制温存を意図した憲法改正糾弾/皇室典範改悪反対
376:15年ウォッチャー ◆syH3TJGD/A
07/02/12 03:18:02 LMyKbRmW
>>98
そのサイトの訳文、いくつか誤訳(で意味不明とか)があったので直せるものを直して
訳し直しますた。ただし、原文でつづりがおかしい(読み取りミス?)ものがあって
どうにも元の綴りが推測できないものもいくつか残ったまま。
以下数回にわたって。訳文のみ投稿。原文は、>>98の掲載を見てね。私が付けた訳注は※※として
元の翻訳とは別にしました。
--
前書き
このレポートはビルマ、ミーチーナ陥落後1944年8月10日前後の、掃討作戦により
捕らえられた、20人の朝鮮人「慰安婦」と、2人の日本民間人の取調べから得られた情報である。
このレポートは日本人がどのようにして朝鮮人「慰安婦(comfort girls)」を募集したか、
彼女らが生活し働いて居た状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼女らの
軍事情勢に対する理解を明らかにする。
「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。もしくは、兵士の手当の為日本陸軍に
あてがわれた「野営追随プロ」である。「慰安婦」と言う言葉は日本人特有の
ものである。他の レポートでは「慰安婦」は日本陸軍が戦う必要があった所なら、
どこでも見受けられると記されている。しかし、このレポートは、日本人に募集され、
彼らのビルマの陸軍にあてがわれた朝鮮人「慰安婦」のみを扱うものである。日本人は
1942年、ビルマに703名のこれらの女性(*1)を送ったと報告されている。
*1(原文ではgilrs=主に少女を意味する言葉が使われているが、
後に慰安婦の平均年齢25歳と書かれている為、女性と約しました。)
募集:
1942年5月上旬、東南アジアの新しく勝ち得た属領で、「慰安奉仕」をさせる朝鮮人女性を
募集する目的により、日本人代理業者は朝鮮に到着した。この 「奉仕」の本質は詳細には
述べられなかったが、病院の負傷患者の訪問、包帯を巻いたり、総じて軍人を幸せにする
業務に関連すると考えられた。
この代理業者が誘因として用いたものは大金、家族の借金の返済、簡単な仕事、新天地
シンガポールで新しい人生を送る見通しなどである。この虚偽の説明に基づいて、多くの女性が
海外勤務に志願し、200~300円の前金を報酬として受けた。
これらの大部分の女性は無知で、教養が無かった。しかし、わずかながらだが以前から
”地上最古の職業”と関連があった者も居た。彼女らがサインした契約書は、”娼館の主人(house master)”
(※※1)のために彼女らを陸軍の規則および戦争にしばりつけるものであった。期間は、
彼女らが前金を受ける理由であった家族の借金によって、6ヶ月ないし1年であった。
(※※1 “house master”であるが、これは舎監というよりは慰安所の主人という訳を取った。
韓国語(朝鮮語)で、店などにたいして”~の家”という表現を現代でもつけることがあるため。
また、文章を二つに分け、日本語としてより正確かつ理解しやすいようにした。)
おおよそ、800名の女性がこのように集められ、彼女らは1942年、8月20日前後ラングーンに
彼女らの”慰安所の主人”と降り立った。彼女らは8人から22人のグ ループで到着した。ここから
彼女らはビルマの各地、大抵は近くに日本陸軍基地があるまあまあ大きな町に分配されていった。
最終的に4つのグループがミー チーナにたどり着いた。彼らはキョウエイ(共栄?)、キンスイ(錦水?)、
バクシンロ(漠心楼?)、モモヤ(桃屋?)であった。キョウエイの娼館は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、
彼女らが ミーチーナに到着した後、ミーチーナ駐屯地の司令官であるマルヤマ大佐が自身の
名前との類似性のために反対した為に変更された。
*2(ほぼポン引きと同義語):※※この注意書き部分は修正により消えたが、もともと”house master”につけられていた(補訳者注)
377:15年ウォッチャー ◆syH3TJGD/A
07/02/12 03:20:12 LMyKbRmW
>>376
その2
--
性格:
取調べでは、平均的朝鮮人「慰安婦」は約25歳、無教養、大人気なく、利己的であることを見せる。
彼女は白人の基準からも、日本人の基準からも可愛くはない。彼女は自己中心的な傾向があり、
自分の事を話すのが好きである。彼女の知らない人の前での態度は静かで、控えめだが、彼女は
「女の手管を知っている」
彼女は自分の「職業」が好きでない事を申し立て、その職業や、家族の事に付いて話したがらない。
ミーチーナとレドゥーでの米国軍人から捕虜として受けた扱いにより、彼女は彼らの方が日本軍人よりも
情にもろいと感じている。彼女は中国とインドの部隊を恐れている。
住居と仕事の状況:
ミーチーナで彼女らは大抵大きな2棟建ての建物(大抵は校舎)に、各女性毎に個室を与えられて
入れられた。各々の女性は(そこで)生活し、睡眠をとり、業務に勤めた。
ミーチーナでは彼女らの食事は、日本陸軍からの配給が無い為、”娼館の主人”によって、準備され
そして購入していた。彼女らはビルマの他の所と比べ、ほとんど贅沢の水準で暮らしていた。この事は
彼らのビルマ2年目では特にそうである。彼らは贅沢に暮らしたが、それは彼女らの食事や物品は
厳密に配給されたわけではなく、彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていたからである。
彼女らは、家から慰問袋を受け取った多くの軍人からもらった多くのプレゼン トでは足りない服、靴、
タバコ、そして化粧品を買って補うことができた。
ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、ピクニックに出席したり、娯楽、
社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。
優先システム:
彼女らの業務状態は陸軍規定の元にあり、過密地域では規則は厳格に実施された。
陸軍は過密地域では特定の地域では、行動している各種の部隊に対する値段、優先順位、そして
予定調整が必要だと考えた。取調べによると、平均的なシステムは以下の通り。
1 兵士 10AM~5PM 1.50円 20~30分
2 NGO 5PM~9PM 3.00円 30~40分
3 将校 9PM~12PM 5.00円 30~40分
これらは中央ビルマでの平均金額であった。将校は20円で一晩留まる事が許された。
ミーチーナではマルヤマ大佐が平均金額のほぼ半分まで金額を削減させた。
378:15年ウォッチャー ◆syH3TJGD/A
07/02/12 03:22:34 LMyKbRmW
>>376,377
その3
--
予定調整:
兵士はしばしば建物内の混雑に不満を漏らした。陸軍は長居をする事に対し非常に厳しかった為、
多くの状況で彼らは奉仕を受けないまま去らなければならなかった。この問題を解決する為に
陸軍は特定の曜日を特定の部隊に割り当てた。大抵その日の部隊から、2人が兵士らを
識別する為に建物に駐在した。秩序維持の為に、憲兵も見回りを勤めた。下記に記したものが
ナイミョウに滞在していた間、第18師団の各種部隊がキョウエイで使用した日程である。
日曜 18師団司令部所属
月曜 機甲部隊
火曜 工兵
水曜 休日、毎週の健康診断
木曜 衛生兵
金曜 山岳砲兵部隊
土曜 輸送部隊
将校は週7日来る事が許されていた。彼女らはこの日程でも過密極まりなく、その為、全ての客に
構っていられないと文句を言い、それ故多くの兵隊に悪感情をもたらした。
兵士は建物を訪れ、支払いをし、左側に順番、右側に娼館の名前の書かれた約5センチ四方のボール紙の
チケットを受け取る。それから、各々の兵士の身元や、「列の中での順番を決める」階級は、
そこで確認される。彼女らは客を拒否する特権を与えられており、個人が酷く酔っていた時等、
頻繁に行使された。
給料と居住状況:
「娼宿の主人」は彼女達が契約した時に被った債務金額により彼女らの総収入の50~60%を受け取った。
これによると、月平均で女性は1500円を総収益をあ げ、彼女は750円を「主人」に返済する事になる。
多くの「主人」は食事や品物に高値を付け、彼女らの生活を困難なものにした。
1943年後半、陸軍は債務を返済した女性が帰省できるよう命令を発行した。それにより何人かの
女性は、朝鮮への帰国が許された。
この取調べでは彼女らの健康状態も良い事を示している。彼女らはあらゆる種類の避妊用具を
十分に支給され、しばしば、兵士自身も陸軍から支給された物を持って来る事があった。彼女らは
衛生の問題において客と自分の世話が出来る様、良く訓練されていた。正規の日本軍軍医が週に
1回訪れ、病気が見付かった女性は皆治療を受け、隔離され、最終的には病院へ送られた。この
同じ手順が陸軍内部でも遂行されたが、興味深い事には兵士は彼が拘束された(*4)期間の間、
給料を失う事は無かった。
*4(病気による隔離、拘束)
日本人兵士への反応:
取調べにより、彼女らと将兵との間柄に置いては、二つの名前に帰結した。それらは、ミーチーナ駐屯地の
司令官である、あのマルヤマ大佐と援軍を率いて来たミズカミ少将である。二人は対照的で、前者は
堅物で利己的で冷淡で、部下への配慮も無い。後者は善良、親切な男で、立派な軍人であり、彼の元働く
部下へも最大の配慮をする。大佐は彼女らの常連であり、少将が訪れた事は聞かれた事が無い。
ミーチーナの陥落とともに、マルヤマ大佐は逃亡したと思われ、一方、ミズカミ少将は、部下を撤退させることが
できなかった故に自決した。
379:15年ウォッチャー ◆syH3TJGD/A
07/02/12 03:24:32 LMyKbRmW
>>376-378
その4
--
兵士の反応:
普通の日本軍人は“慰安所“で見られる事は、ばつの悪い事のようで、ある女性の言う所によると、
「満員で列に並んで自分の順番を待つのにも恥ずかしがりがち」しかしながら、極めて多くの結婚の
申し込みがあり、ある場合に置いては実際に結婚した。
全ての女性が彼女らの所へ来た将兵のうち、翌日前線へ向かう酔った者が最悪であると同意した。しかし
皆一様に、酷く酔っていても日本人兵士は、彼女らと機密や軍事問題を話題にしない事にも同意した。女性の
方から軍事問題を会話を始めたとしても、将校又は下士官兵は話さず、むしろ「そのような女性らしくない
話題について話す事をしかられた。酔っ払ったマルヤマ大佐でさえ決してそのような問題について話す事は無かった。」
兵士はよく実家からの雑誌や、手紙や、新聞を受け取ることをいかに楽しみにしているか表現したと言う。彼らはまた、
缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、小さな人形、口紅や木のように硬い布であふれた慰安袋を受け取った事にも言及した。
口紅と布は女性の物であり、彼女達は何故実家の人達がそのような物を送るのか理解出来なかった。彼女らは、
送り主は、彼女ら自身か、現地人の女かしか思いつかなかっただろうと憶測する。
軍事情勢:
”ミーチーナと臨時滑走路への第一攻撃で、200名の日本人が死亡し、町の防衛に200名が残っていた。弾薬は極わずか。“
“マルヤマ大佐は兵士を分散配置していた。その後数日は、敵はでたらめにそこいら中を射撃していた。
特に何かをねらうことなくやっているようだったのでそれは無駄。日本兵はそれとは逆に必中と考えられるときにのみ
一回一発を撃てという命令を受けていた”
敵の臨時滑走路西への攻撃の前、ミーチーナ周辺に駐屯していた兵士は北部と西部での連合軍の攻撃を分散させるため(※※3)、
他の場所に派遣された。約400名が残され、そのほとんどは第144連隊からの兵士だった。どうやらマルヤマ大佐は
町が攻撃されるとは思わなかったようである。後に、第56師団のミズカミ少将が2ヶ連隊以 上の増援を率いてきたが、
それでも町を死守する事は出来なかった。
(※※3 to stom という単語の修正候補が不明。)
連合軍の爆撃が強烈で恐ろしかった事は女性達みなの合意するところであり、そのために、彼女達は各個掩体で
最後の日の殆どを過ごした。1、2人はそこでも仕事を営んだ。慰安所は爆撃を受け、何人かもの女性が負傷し死亡した。
380:15年ウォッチャー ◆syH3TJGD/A
07/02/12 03:26:36 LMyKbRmW
>>376-379
その5,最後です
--
撤退と捕獲:
「慰安婦」の撤退と最終捕獲の話はやや曖昧で彼らの心も混乱しており、様々なレポートによると、
下記のような事が起こったようだ。7月31日の夜、3箇所の「慰安婦達」(バクシンロがキンスイに合流)、
家族連れ、お手伝い達ら63人の集団が、イラワジ川を小さなボートで渡りはじめた。彼らは結局、
ウェインマウの近くに上陸し、8月4日まで留まったがウェインマウには1度もよらなかった。そこから
8月7日に敵との小衝突により集団がばらばらになるまで、彼らは兵士の集団の進路に付いていった。
3時間の合間を置き、彼女らは兵士達の後を付いて行くよう命令されたが、結局兵士や渡った
手段の痕跡を見出せないまま川の堤防に佇む結果となった。
彼らはイギリス将校率いるカアヒンの兵士に8月10日に捕まるまで、近くの家に留まった。彼らは
ミーチーナに連行され、そこからこのレポートの元となった取調べが行われたレドゥー防御柵へと移された。
要望:
彼女達誰一人として、ミーチーナで使用された「拡声器」を聞いたものは居なかったが、何人かは
「ラジオ放送」に付いて兵士達が口に出すのを小耳に挟んでいる。
彼女らは陸軍が彼女らの捕獲の事を知れば、他の女性達の命が危険に晒されるので、「慰安婦」の
捕獲の事を伝えるチラシ(*6)を使用しないよう求められた。
しかしながら朝鮮に向けて計画されている落下配布物においては、彼女らの捕獲の事実を用いることは
良い考えであると考えていた。
--
以上。原訳の人に感謝。また、私が二重に翻訳ミスしてる箇所があったらスマソ。適当に修正よろ。