07/02/12 03:18:02 LMyKbRmW
>>98
そのサイトの訳文、いくつか誤訳(で意味不明とか)があったので直せるものを直して
訳し直しますた。ただし、原文でつづりがおかしい(読み取りミス?)ものがあって
どうにも元の綴りが推測できないものもいくつか残ったまま。
以下数回にわたって。訳文のみ投稿。原文は、>>98の掲載を見てね。私が付けた訳注は※※として
元の翻訳とは別にしました。
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前書き
このレポートはビルマ、ミーチーナ陥落後1944年8月10日前後の、掃討作戦により
捕らえられた、20人の朝鮮人「慰安婦」と、2人の日本民間人の取調べから得られた情報である。
このレポートは日本人がどのようにして朝鮮人「慰安婦(comfort girls)」を募集したか、
彼女らが生活し働いて居た状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼女らの
軍事情勢に対する理解を明らかにする。
「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。もしくは、兵士の手当の為日本陸軍に
あてがわれた「野営追随プロ」である。「慰安婦」と言う言葉は日本人特有の
ものである。他の レポートでは「慰安婦」は日本陸軍が戦う必要があった所なら、
どこでも見受けられると記されている。しかし、このレポートは、日本人に募集され、
彼らのビルマの陸軍にあてがわれた朝鮮人「慰安婦」のみを扱うものである。日本人は
1942年、ビルマに703名のこれらの女性(*1)を送ったと報告されている。
*1(原文ではgilrs=主に少女を意味する言葉が使われているが、
後に慰安婦の平均年齢25歳と書かれている為、女性と約しました。)
募集:
1942年5月上旬、東南アジアの新しく勝ち得た属領で、「慰安奉仕」をさせる朝鮮人女性を
募集する目的により、日本人代理業者は朝鮮に到着した。この 「奉仕」の本質は詳細には
述べられなかったが、病院の負傷患者の訪問、包帯を巻いたり、総じて軍人を幸せにする
業務に関連すると考えられた。
この代理業者が誘因として用いたものは大金、家族の借金の返済、簡単な仕事、新天地
シンガポールで新しい人生を送る見通しなどである。この虚偽の説明に基づいて、多くの女性が
海外勤務に志願し、200~300円の前金を報酬として受けた。
これらの大部分の女性は無知で、教養が無かった。しかし、わずかながらだが以前から
”地上最古の職業”と関連があった者も居た。彼女らがサインした契約書は、”娼館の主人(house master)”
(※※1)のために彼女らを陸軍の規則および戦争にしばりつけるものであった。期間は、
彼女らが前金を受ける理由であった家族の借金によって、6ヶ月ないし1年であった。
(※※1 “house master”であるが、これは舎監というよりは慰安所の主人という訳を取った。
韓国語(朝鮮語)で、店などにたいして”~の家”という表現を現代でもつけることがあるため。
また、文章を二つに分け、日本語としてより正確かつ理解しやすいようにした。)
おおよそ、800名の女性がこのように集められ、彼女らは1942年、8月20日前後ラングーンに
彼女らの”慰安所の主人”と降り立った。彼女らは8人から22人のグ ループで到着した。ここから
彼女らはビルマの各地、大抵は近くに日本陸軍基地があるまあまあ大きな町に分配されていった。
最終的に4つのグループがミー チーナにたどり着いた。彼らはキョウエイ(共栄?)、キンスイ(錦水?)、
バクシンロ(漠心楼?)、モモヤ(桃屋?)であった。キョウエイの娼館は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、
彼女らが ミーチーナに到着した後、ミーチーナ駐屯地の司令官であるマルヤマ大佐が自身の
名前との類似性のために反対した為に変更された。
*2(ほぼポン引きと同義語):※※この注意書き部分は修正により消えたが、もともと”house master”につけられていた(補訳者注)