07/02/09 14:35:53
浜田で「竹島事件と八右衛門」展 古文書を初公開
今津屋八右衛門の事件を受け、作成された古文書「御触書御請印帳」=浜田市久代
町、石見安達美術館
江戸時代に浜田藩内の廻船業、今津屋八右衛門(一七九八-一八三六)が鎖国を
破り、当時「竹島」と呼んだ鬱陵島へ渡海したとし、死罪となった事件に関する資
料展が、浜田市久代町の石見安達美術館で始まった。朝鮮国に渡したと記述された
同島が、日韓両国が領有権を主張する現在の竹島と混同され、誤解を与えかねない
との理由で、封印してきた古文書を初めて公開している。
「竹島事件と八右衛門」展の目玉となる古文書は、縦二十五センチ、横十八セン
チの表紙に「御触書御請印帳」と書かれている。
江戸幕府は八右衛門の事件を受け、一八三七年二月に全国諸藩へ、高札などを掲
げ、領民に鎖国の順守を周知するよう、通達する触れを出した。
同年四月作成の御触書御請印帳にも、八右衛門らを厳罰に処したことを示すとと
もに、鬱陵島は元禄年間に「朝鮮国え御渡に相成候」とし、渡海を禁じていると記
した。
さらに、同島を含め、異国へ行くことは重罪であり、海上で異国船と遭遇しない
航路を心がけるよう、念押ししている。
その上で、文末に現在の江津市から浜田市にかけての浜田藩の「東八浦」の嘉久
志、久代、唐鐘など、各地を束ねる年寄が署名・押印し、指示を了解したことを表
した。
古文書は、前理事長・館長の故安達啓二氏が一九七七年の開館前に購入。これま
で非公開としてきたが、一昨年春の島根県の「竹島の日」条例制定以降、当時の竹
島と現在の竹島の区別など、理解が深まったと判断した。
「朝鮮国え御渡に相成候」との記述は、一六九〇年代に朝鮮人・安龍福の渡日を
発端に、日朝間で起こった鬱陵島の帰属先をめぐる紛争、交渉の末、江戸幕府が譲
歩し、出した同島への渡海禁止令を指している。
八右衛門は「会津屋八右衛門」とも呼ばれる。
同展は三月三十一日まで。開館時間は午前十時-午後四時(休館日・毎週火曜日)。
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