07/01/18 16:40:05
◆旧日本軍「細菌戦研究」 米が機密文書公開
米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する
米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。
■石井中将 尋問記録も
文書目録によれば、石井四郎軍医中将を含む731部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の
公開分に含まれている。また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を
1947年(昭和22年)6月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。(ワシントン 山本秀也)
■戦争犯罪を立証
今月12日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の
99年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局(CIA)や前身の戦略情報局
(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分析し、機密解除分をまとめて公開した。
IWGの座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理解する上で光
を当てる」と意義を強調するが、作業は「日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。日本語資料の翻訳と分析
には中国系の専門家も加わっている。
細菌戦などに関する米側の情報文書は、これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ
大量に公開された例は少ない。
情報の一部は34年(昭和9年)にまでさかのぼるが、終戦の45年(同20年)前後4年分が大半を占めている。
文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、37年12月の南京事件
に関する文書が一部含まれる。IWGでは「慰安婦問題」を裏付ける文書も探したが、「目的を達せず、引き続き新た
な文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つからなかったことは認めている。
■日本の使用警戒
細菌戦の研究競争が大戦下で進む中、米側は日本の細菌兵器使用を終戦まで警戒していたほか、奉天(現瀋陽)
の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われた形跡がないかを戦後調べたことが判明した。同じく米本土に
対しても、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないか、米海軍研究所が回収した現物を大戦末期に調べ、
「細菌の散布装置がついていないことから、当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。
細菌戦に関する米国の日本に対する関心は、44年ごろから終戦までは、細菌兵器の開発状況と731部隊の
活動実態の解明に重点が置かれ、終戦から47年ごろまでは、同部隊関係者への尋問による研究成果の獲得へと、
重点が移っている。
米側が最も強い関心を抱いたのは、731部隊を指揮した石井中将だった。45年12月の情報報告には、千葉県の
郷里で中将が死亡したことを装った偽の葬式が行われたことも記されているが、翌46年から47年には中将に関
する報告や繰り返し行われた尋問の調書が残されている。
(>>2-5あたりに続きます)
ソース:Sankei WEB
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