07/01/18 16:40:23
(>>1の続きです)
■保身引き換えに
石井中将は自らと部下の保身と引き換えに、細菌戦研究の成果を米側に引き渡したとされてきたが、47年6月
20日付の米軍最高機密文書は、こうした説に沿う内容を含んでいる。
「細菌兵器計画の主要人物である石井中将は、問題全体にかかわる協約を現在執筆中だ。文書には細菌兵器の
戦略、戦術的な使用に関する彼の着想が含まれる。石井中将の約20年にわたる細菌兵器研究の骨格が示される
見通しであり、7月15日には完成する」
同じ文書には、「日本南部の山中」に隠されていた「細菌に侵された200人以上から採取された病理学上の標本
スライド約8000枚」が、47年8月末までに米側に提供されることも付記されていた。
米側では日本からの情報収集を急ぐ一方、冷戦でライバル関係となる旧ソ連に細菌戦に関する情報が渡ることを
強く警戒していた。ハバロフスク裁判のため、旧ソ連が請求してきた細菌戦関連の証拠引き渡しを渋る一方、約30人
の731部隊関係者が「モスクワ近郊で細菌兵器の研究プロジェクトに従事している」とする48年4月の情報報告も
今回明らかにされた。
(終わりです)