【米】 『ヨーコの話』:外交通商部、昨年9月州政府に是正要求 [01/18]at NEWS4PLUS
【米】 『ヨーコの話』:外交通商部、昨年9月州政府に是正要求 [01/18] - 暇つぶし2ch930:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
07/01/18 23:44:59 dGl6waNN
特集ワイド:第二の故郷、核とミサイルの国に--国交相・冬柴鉄三さんが語る
毎日新聞 2006年11月22日 東京夕刊

URLリンク(www.mainichi-msn.co.jp)

細い目をさらに細めて語るのはソ連との国境に近い港町、羅津(ラジン)での思い出である。
南満州鉄道(満鉄)の主任技師だった父の転勤で、生まれた奉天(現瀋陽)から
植民地支配下の朝鮮に移り住んですぐだった。家族は社宅にいた。


1945年7月、米軍のB29爆撃機がしばしば羅津まで飛来した。
冬柴さんは国民学校3年、まだ9歳だった。「空襲警報が鳴ると、防空ごうにもぐりこんで。
サーチライトで照らしても、その上を悠々と飛んでる。高射砲も届かない。
港に機雷をバンバン落とすんですから」。そして8月9日、ソ連が突如、参戦する。
穏やかな語り口は一変した。

 「着の身着のまま逃げましたよ。羅津はあちこちで火柱を上げている。
大勢の避難民と一緒に道なき道を歩き、汽車に乗って、ともかく満州の図們(トゥーメン)駅へ
向かった。そのホームで悲劇は起きました。ソ連機が爆弾を落とし、あたりにいた
200人以上が死んだんです。ぼくは汽車から飛び降り、コーリャン畑で伏せていたら、
母も姉もねえやもいない。泣き叫びながら町中を捜したけど、いない。死体だらけ。
夕方、汽車が出るぞと言われて、日本人の群れに交じって連れていってもらった。
着いたのは600キロ離れた撫順(フーシュン)、ロシア兵によって収容所に入れられました」





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