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■竹島「先占」を元漁師が証言 領土編入の根拠裏付け
~ 昭和10年前後「済州島の海女雇い、隠岐の仲間と出漁」
韓国が実効支配しているわが国固有の領土、竹島(韓国名・独島)で昭和初期、アシカ漁に
従事した島根県隠岐の島町の漁師、吉山武さん(96)が産経新聞のインタビューに応じ、昭
和9年6月に竹島で撮影された写真に自身が写っていることを確認、当時の様子を証言した。
「雇った済州島の海女を、朝鮮(半島)の船頭が連れてきた。朝鮮は日本によって竹島を漁
場と認識するようになった」という。
吉山さんは当時、明治43(1910)年の日韓併合以前から竹島でアシカ漁をしていた隠岐の
「親方」に雇われ、昭和10年前後、毎年5~6月ごろに隠岐の漁師10人程度とともに出漁し
ていたという。日当は1円50銭で、1回出漁すると20日間ほど滞在。「畑仕事用の牛1頭が
7円だった」という当時では、破格の収入だった。
竹島はアワビやワカメなど海産物の宝庫だったが、隠岐からは船で12~13時間かかること
から、収益を上げるために「一番良く働く」とされていた済州島の海女が雇われていたという。
吉山さんが出漁したときは「だいたい4、5人が向こうの船頭に連れられてきた」。竹島では
同じ漁師小屋に寝起きし、食事の支度は海女たちが担当したという。
隠岐郷土館(隠岐の島町)は、竹島で撮影された写真を関係者から寄贈され、数点展示して
いるが、写真を見せられた吉山さんは「昭和9年6月 東島の浜にて撮影」とされているもの
に当時23歳だった自身が写っていることを初めて確認した。この写真には女性4人が写って
いるが、いずれも「済州島の海女だ」と証言した。
竹島は島根県隠岐諸島の北西にあり、東西2つの島と数十の岩礁からなる約23ヘクタール
の島。島根県は明治38年2月22日、閣議決定に基づき竹島編入を公示したが、その根拠と
なったのは、▽竹島に他国占領の形跡がなかった、▽隠岐の漁師が操業のため小屋を構え
ていた--の2点。これらにより、政府は国際法上の「先占(せんせん)」の要件を満たすと
判断、領土編入に踏み切っていた。
「竹島では、朝鮮の人は自分たちと一緒の時以外には漁をしていなかった」という吉山さん
の証言は、隠岐の漁師だけが竹島を実効的に活用していた事実を証明するとともに、先占
の要件を改めて裏付けるもので、写真を所蔵する隠岐郷土館の瀧本修二館長は「竹島と隠
岐の歴史を裏付ける貴重な話だ。吉山さんから改めて話を聞き展示内容も補強したい」と話
している。
▽ソース:産経新聞(大阪版) 2007年1月6日 3面