07/01/06 13:41:10 /DEnY0aO
ある日、秘密裏に水面下ですすめられていた南北統一が公表されると同時に、朝鮮半島の国境は完全封鎖された。
国境の中国側には、いつの間にか中国軍が包囲しており、国境を越えようとした旧韓国人は、一晩で埋設された大量の地雷の餌食になった。
一方、日本海にはロシア海軍がおり、水兵が冷たい視線を朝鮮半島の海岸線に向けていた。
アメリカ軍と日本の自衛隊は、恒例の合同演習を行っている期間であり、東シナ海と九州沿岸にはアメリカ海軍主力艦隊がいた。
寝耳に水の韓国にいた人々は、空港に向かうが、国連軍が押さえていた。
韓国では、国内の治安は国連軍が行うことと、国外への移動禁止及び経済封鎖が発表された。
経済封鎖は韓国のドルが海外に流出するのを抑えるための処置であった。
食料などは、配給されるので安心するように繰り返し伝えられた。電気ガス水道水も無料になり、家賃やローンも封鎖期間は免除された。
ほどなく、朝鮮半島各地で暴動の火の手が上がった…。
韓国にいた日本人のうち出国希望者は、日本大使館で所定の手続きを済ませ空路帰国した。
朝鮮半島出身者の朝鮮半島への入国は、二週間後から認められた。
なぜか、日本国内の在日朝鮮人や在日韓国人は、この突然の祖国統一劇に猛烈に反発した。
難民は朝鮮半島内で難民キャンプを作り保護された。
こうして、朝鮮半島外への難民流出は免れた。
ベトナム人やカンボジア人などとは違い凶暴化しやすく、管理の困難な民族が海外に無秩序に出る危険は避けられたのである。
朝鮮半島国内の状態を見ながら経済封鎖は順次解かれたが、人の出入りは以後百年にわたり厳しく規制管理された。
旧北朝鮮では精鋭のはずの軍は、ほとんど動かずにいた。暴動もなく、懸念された難民も皆無に近かった。 そうは言っても、旧北朝鮮時代に小さな権力を振り回した者の中で、生きて統一後を見られた者は少なかった。
こうして、旧北朝鮮国民の多くは涙ながらに配給食料を受け取った。
金一族はというと、すでに、国外脱出を済ませていた。
行く先は、キューバのどこか…。
そして、金正日と息子達はキューバから出ることなく生涯を過ごした。
伝え聞くところでは、キューバ国民からすれば贅沢な暮らしであったらしい。
特に、金正日は、糖度12%以上のメロンを毎食一切れは食べる保証を得ており、約束は誠実に履行されたという。