【野球】オリックス・清原和博内野手「来季はみなさんの前で必ずプレーしたい」「リハビリをしてこの冬を越したい」at MNEWSPLUS
【野球】オリックス・清原和博内野手「来季はみなさんの前で必ずプレーしたい」「リハビリをしてこの冬を越したい」 - 暇つぶし2ch147:名無しさん@恐縮です
07/11/23 18:54:36 dTCXfH2v0
清原は久々の、そして全く新しいタイプの傑出した十九歳の野手だろう。シー
ズン後半の活躍を予測できなかった不明を認めていい。だが、私の本当の気分
は、ここまでみてきた彼の”進歩”が面白くない。長い目でみれば、逆に災い
になる不安すら感じる。かつて強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いず
れも内角に強く、下半身がうまく使え、腕の操作が巧みだった。必然的に「引っ
ぱる」打者だった。清原は流すことで成績をあげている。外角に強いのはリー
チの長い打者特有のものとはいえ、流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打
法である。バースや落合の活躍を見習い、「とぶボールの時代だから、僕は楽
な右打ちでいや」と悟ってしまっているのならこわいことだ。未熟-基本- 応
用の階段を着実にのぼらず、未熟からすぐ応用へ走ってしまったツケはやがて
払わされると思う。体をひらいて外角球を見逃す。苦手のところを空振りして
みせる。スタンスを変えてみせる。こんな投手との駆け引きは、天性の限界が
みえた後、プラスアルファを出すためのものだ。清原の今は、天性・素質の限
界をためす時期である。未熟時代は「ためし」、基本会得期は「おぼえ」、応
用期は「みつける」ことに専念するのが常道である。投球への読みでは第一人
者の山本浩二も大卒で入団後、しばらくは荒々しく素質の限界をためしていた。
王が一本足打法に変えたのは、二本足で残せる数字の上限を思い知ったからで
ある。清原は克明に対戦相手のデータをとっているという。これは応用期の作
業だ。「未熟」から「基本」へ階段をのぼりかけた彼に、いまはかえって邪魔
になる。

週刊朝日『プロ野球・野村克也の目』(1986年9月26日号)



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