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(>>1の続き)
華原は音楽プロデューサー小室哲哉との破局による休業を
乗り越え、心機一転のため1999年5月に事務所を移籍した。
だが、恋愛や仕事の悩みがあると睡眠薬や精神安定剤などを
大量に摂取してしまう“持病”は完治しておらず、2000年に再び休業。
尾木社長は「違法薬物ではないが、飲む量が尋常じゃなかった。
睡眠薬をお菓子のように食べていた」と当時を振り返った。
それでも華原は、「仕事が最良の薬」と自身に言い聞かせ、
翌年からは日本テレビ系「進ぬ!電波少年」で全米デビューに挑戦。
05年には、ミュージカル「赤毛のアン」で女優としての才能も
認められるようになり、順調に回復しているかに思われた。
だが、昨年12月、「ユーミンソング・ミュージカル ガールフレンズ」
出演中に急性気管支炎と急性声帯炎を患って途中降板。
再び心身の状態が不安定となり、今年1月から4月まで休業した。
5月12日に三重・伊勢神宮で開かれた神祭「お木曳(ひき)」に
ゲスト出演して再復帰した際、尾木社長は薬物に手を出さないよう、
細かい禁止事項を盛り込んだ契約書を書かせて最後の可能性に賭けたが、
華原が違反行為を繰り返したため、苦渋の決断に踏み切った。
同社長は「男性の存在が背後にあるのかも」とした上で、
「早く治療すべきものは治療し、習慣になっているものはやめて、
まず人間として再起再生してもらいたい」と8年間かわいがってきた歌姫に最後のエールを送った。