07/06/17 17:42:46 0
バブル時代のひとつの象徴ともいえるディスコ「ジュリアナ東京」のお立ち台で、
初めてジュリ扇片手にセクシーなボディコンスタイルで踊ったことから「荒木師匠」と呼ばれた荒木久美子さん。
深夜番組「トゥナイト」のリポーターやバラエティー番組でも活躍した。今どうしているのか。
「母(真鼓音(まこと))が14年前から銀座でやってる『パールメール』ってクラブを手伝ってます。
銀座のクラブというと、“座ってウン万円”ってイメージがあるでしょ。その点、
ウチは座って1500円、ハウスボトルは2000円で飲める、とってもリーズナブルなお店です」
銀座7丁目のビル4階にある「パールメール」で会った荒木師匠、こう言ってニッコリ笑った。
客席数30、12坪の店内はシックで落ち着いた雰囲気。元レースクイーンや元ミス、
元ダンサーなど10人の女性が日替わりで働いているという。
「ワタシが小さい頃に離婚して以来、母はずっと銀座で働きながらワタシと弟を育ててくれた。
女手ひとつでマンションを買い、ベンツにも乗れる生活をさせてくれた母ですから、親孝行したいんです。
ホント、母にはこれからは好きに生きて欲しい。20歳の彼氏をつくろうが、海外で暮らそうが、
海外放浪の旅に出ようが、かまいません、ハハハ」
さて、99年、荒木師匠は整形外科医と結婚、芸能界を引退した。
「元夫は埼玉の開業医で、5回のデートで結婚を決めました。ワタシが派手に動き回ったら、
彼に迷惑をかけると思い、ディスコにも行かず、家でジッとしてたんですが……」
ところが、02年1月に離婚。
「フツーに家にいて、フツーに生活するのにも才能が必要だってことがわかって。
ええ、ワタシはやっぱりフツーに毎日を過ごすには向いていなかったみたいです」
離婚後は結婚式の司会などをしていたが、2年前からは「お店の宣伝になれば」と、
女性を口説くテクニック満載のメールマガジンの配信を始めた。
「ワタシのメールマガジンの読者の大半は男性。で、多くの女性読者を抱えるメールマガジンの
発行者の方と共催で出会いパーティーも開いてます。
続きは>>2以降