07/04/17 05:41:38 0
>>25
「エタ」「ヨツ」などの蔑称で呼ばれる
発祥はかなり古く、聖徳太子の時代まで遡るとも言われる
屠殺・解体などの人の嫌がる、蔑まれる仕事に従事した人々で
江戸時代の階級「士 農 工 商 エタ 非人」の下から2番目に当たる
そういう意味では、非常に気の毒であり、謂われない差別を受けた人々と言える
水平社の生まれた頃(戦前くらいまで)には確かに差別されていた
文明開化後も平民に対して新平民と呼ばれたりとか
教育をまともに受けられなかったりとか
真の意味での赤貧だったりとか
江戸時代にはエタは7人殺されてから1人分として訴えろとか...
現代では屠殺業及びそこから派生した食肉業、靴屋、肉屋、市役所のグリーンセンター職員等になっており
現在の部落民で差別を受けたものなど皆無
「差別をするな」
「差別を理解しろ」
「一般人と同じように扱え」
「でも金はよこせ」
「金を貰っているからといって色眼鏡で見るな」
現在のこの彼らの主張は「私の先祖がお前の先祖に殺されたから、お前は殺人犯」的な言いがかりに近いが
彼らの結束力(暴力を含む)を恐れて、一般人は反論できないのが現状
むしろ非部落民の方が差別を受けているような状態
現在は様々な業種についており職種では判断できない
ただ、住居・施設等は被差別被害者として特別に優遇されるため
自由に住居を構えることが可能な現在においても集まって住むことが多く
故に今も「部落」と呼ばれる
人権運動のように装っているが、そこから生まれる利権が美味しいため
今では運動そのものが職業と化している
そういう意味では、彼らにとって「『差別』は絶対なくなってはならないもの」となっている
私が厨房時代、「こういう同和教育自体をやめれば、誰にも知られず『差別』も消えるのでは?」
と発言して、教師(←同和w)にこっぴどく怒られたことからも、「『差別』=『メシのネタ』」は明白
そういう事情から、彼らが『色眼鏡(←差別に非ず)』で見られることは否めない、というか必然
ちなみに、本当にそういう色眼鏡で見られたくない、同和の恩恵もいらない人は
とっとと部落から出て行っている
こんなところかな?