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07/05/07 19:23:36 X/BS3WVT
【国際】ソニーの久夛良木から、全人類の久夛良木へ 2000年~2005年は「久夛良木イヤー」[07/05/07]

突然の辞任劇、久夛良木氏の原動力

★―夜11時近くになってからプレスリリースが発表されるなど、突然という感の強い今回の退任劇ですが、
率直なところどのような感想をお持ちになりましたか?

麻倉氏: 実は、私と久夛良木さんはホームシアター愛好家という間柄なのです。
ある時、スクリーンはどれがいいかなんて話をしていたのですが、別れ際に「ちょっと」と声をかけられ、
人のいないところに連れて行かれ、「(現職を)降りることにしたんだ」と突然、告白されました。

 そのとき、「ああ、これで久夛良木さんはやりたいことができるようになるんだ。素晴らしいことだ」
と直感的な思いました。人類のためにやりたいことができるかな、とも思いましたね。
握手をして、全人類のために頑張りましょうといいました。
そのときの久夛良木さんは、とてもさばさばしているように感じられました。

―「久夛良木健」という人物はさまざまな言葉で語られます。
プレイステーションというゲーム機を作り出したプランナー、ビジネスマンであり、技術者であり、
また、経営者でもありました。人物像をどのように評価されますか。

麻倉氏: 何百年という長いスパンで評価するならばとにかく、
大変に稀有な才能の持ち主であることは間違いないでしょう。
彼のすごさは、革命家と事業家の両方の資質を十分に備えながら、
一般ユーザーの眼も兼ね備えていたことです。革命家としての側面だけを取りあげても、
ビジョンと行動力を兼ね備えていたことは特筆に値します。
自分の想いを現実にできるひとはそうそういませんからね。

 彼の仕事ぶりは若い頃からソニーでも突出していたそうです。
私は1998年に「ソニーの革命児たち」という書籍を刊行するにあたり、
本人を含め非常にたくさんの人に取材をしましたが、当時を知る人は異口同音に
「彼は若い頃から飛び抜けていた」と言っていました。

 本当の意味で頭角を現し始めたのはプレイステーションの開発プロジェクトを手がけたあたりからですが、
アナログメーターが当たり前だったカセットデッキのピークメーターに液晶パネルを導入するなど、
若くして飛び抜けた存在だったことを示すエピソードにも事欠きません。

 久夛良木氏の実家は印刷業を営んでいましたが、決して経営が楽なわけではなく、
まだ少年だった彼も可能な限り家業を手伝っていたそうです。その後、彼は電気通信大を卒業するのですが、
「僕は技術者だけれど、経営者だ」という彼の言葉は、こうした経験から出たものでしょう。

 久夛良木氏は熱い想いに技術を重ね合わせることができたのです。
普通は「考えること」と「実行すること」は分離してしまいがちですが、
彼の中では混然一体となっていました。それがこれまでの偉業の原動力のひとつでしょう。

久夛良木イヤーの到来、経営者としての功績と不運

麻倉氏: そうして彼は成功を収めます。プレイステーション2が発売された
2000年から5年ほどはまさに「久夛良木イヤー」とも呼べる時期でしょう
(注:久夛良木氏は1999年にSCEI代表取締役社長、2003年にはソニー副社長兼CEOに就任している)。(以下略)
URLリンク(plusd.itmedia.co.jp)



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