06/12/12 17:00:37 0
(>>1のつづき)
愛国心と愛郷心が「異なる」と考える学生が、6割いたのも興味深かった。
元防衛庁長官の石破茂衆院議員は取材に「故郷に戦力がないのが決定的な違い」と語り、
男子学生(20)は「愛郷の延長には家族があり、愛国のそれには天皇がいる」と答えた。
いずれも、言い得て妙と感じた。
学生の考える愛国心を記述式で問うと、76%が回答した。
肯定派は▽国の文化・歴史を誇りに思う心▽国を守る心、を挙げ、
否定派は▽(戦争や政治で)国に都合がいいもの▽対立の原因、などと書き込んだ。
答えはまさに千差万別で、この結果からも、個々でとらえ方の異なる内心の問題を法律で
規定することに、妥当性はないように思う。
愛国心教育のあり方が議論になったのは、自民党を中心に戦後教育を見直す動きが
きっかけだった。「公共の精神が希薄になった」と嘆き、政府・与党は先の通常国会に
「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことを「教育の目標」とする改正案を提出。しかし、
「愛国心の強制につながり、内心の自由を認めた憲法に抵触する」などの反対意見が
出され、継続審議に追い込まれた。
今国会では、政府の教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」や必修科目の
履修漏れ、いじめの「3点セット」問題が噴出し、愛国心問題は置き去りにされた感が
否めない。政府側は「十分に審議した」との姿勢だが、国会での議論を、採決前の単なる
手続きとみているように思える。こんな態度で、1947年の制定以来、初めてとなる改正を
決められてはたまらない。
なぜ今、愛国心か。給食費を払えない家庭の子どもや正社員になれず不安な夜を過ごす
若者、働いても豊かさを実感できない中高年、わずかな預金や年金を気にして病院に
行けない高齢者……。広がる「格差」から目をそらせるため、「国と郷土を愛する」という
ソフトな言い回しで国民をまとめ上げようとしているのでは、と思いたくなる。
「愛国心」は六十数年前、戦争という国策に利用され、反対すれば「非国民」のレッテルが
張られた。国家権力は歴史から謙虚に学び、国民に「愛国心」を課すより愛される国を
目指してほしい。気持ち良く国歌が歌えるような国を。(以上、一部略)