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日本軍がハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まって65年が過ぎた。あの戦争の犠牲に
なった無数の人々を改めてしのびたい。それにしても、日本はなぜあのような暴挙に走ったのか。
31年の満州事変から40年の日独伊三国同盟、さらに南部仏印への進駐から対日石油禁輸へ。
後世から振り返ると、坂道をころげ落ちるように破局への道を歩んでいく。弾みがついた歴史の
流れの恐ろしさだろう。当時のルーズベルト政権のスタッフだった経済学者のガルブレイス氏は、
真珠湾攻撃の知らせを聞いた時、「狂気の沙汰(さた)と思った」と回想している。
何よりも圧倒的な国力の差である。当時の米国のGNP(国民総生産)は日本の10倍以上、
鉄鋼生産量は20倍以上もあったといわれる。しかも、日本は重要物資のほとんどを米国などからの
輸入に頼っていた。冷静に考えれば、勝ち目がないことぐらい分かりそうなものだ。だが、体を張って
「待った」をかける政治家も軍首脳もいなかった。
「欧州でドイツが勝てば、日本も有利な講和に持ち込めるだろう」。最後はそんな期待もあって開戦に
踏み切った。無責任というほかはない。指導者だけではない。昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは、
真珠湾の日に人々が何を語り、書いたかを調べたことがある。「マスコミは戦争をあおり、国民も
『やった、やった』と熱狂した」
日本中を「狂気」が覆っていたといえよう。硫黄島の守備隊は1カ月余りにわたる戦いの末、全滅する。
それから沖縄戦、原爆投下と続き、敗戦に至る。あれだけの犠牲があったにもかかわらず、無謀な戦いを
止められなかった無力を思うと、「あんなことは絶対に二度と起きない」と言い切ることはできまい。
どうすれば、踏みとどまれるのか。狂気に包まれる前に、現実に目を見開くことはできるのか。
65年後の今、改めて自問してみるのは意味のあることだ。ともすれば私たちの周囲から戦争の記憶は
薄れがちである。だが、あの狂気やその種はこの世界からなくなったわけではない。過ちは今もどこかで
繰り返され、戦争の悲惨は続く。そのことを忘れてはならない。(一部略)
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