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・詩人の長田弘さんは「戦後60年」表現に疑問を投げかけた。「不戦60年」と言うべきではないのか。
「戦争に敗れて戦争はしないと決めてからの、戦争をすることを選ばなかった『不戦60年』という
数え方のほうが、この国に戦争のなかった60年の数え方としては、むしろ当を得ています」
防衛庁を「省」に昇格しようという法案の審議が衆院で大詰めを迎えている。きょうにも本会議で
可決される見通しだ。「庁」という形は時代に合わないから、直したいということのようだ。
自衛隊は国土防衛だけでなく、カンボジアへの派遣をはじめ海外でもさまざまな経験を積んだ。
かつてと比べ、国民は自衛隊や防衛庁をより肯定的に評価するようになったのは事実だ。
だがこの間の歩みには、戦前とは違う国のありようを求めてきた私たち自身の決意が投影されている
ことを忘れてはならない。
戦後日本は、侵略と植民地支配の歴史を反省し、軍が政治をゆがめた戦前の過ちを決して
繰り返さないと誓った。だからこそ、戦後再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊としてきた。
普通の軍隊とは違う存在であることを内外に明らかにする効果も持った。
軍事に重い価値を置かない、新しい日本のあり方の象徴でもあった。国防省や防衛省ではなく
「防衛庁」という位置づけにしたのも、同じメッセージである。
省になっても実質的な違いはないと、政府・与党は言う。自衛隊員が誇りを持てる。
諸外国も省の位置づけだ。名前が変わったからといって、戦前のような軍国主義が復活するわけ
ではない。それはそうだろう。
だが、問われているのは私たちの決意であり、そうありたいと願う戦後日本の姿である。古びたり、
時代に合わなくなったりする問題ではないはずだ。
長田さんが「不戦60年」の表現を薦めるように、私たちは「庁」にこだわりたい。省になることで、
軍事的なものがぐっと前に出てくることはないのか。そんな心配もある。
日本は、惨憺たる敗戦に至った歴史を反省し、新しい平和の道を選んだ。それは多くの国民が賛成し
いまも支持している選択だ。その重みを考えると、古い上着を取り換えるようなわけにはいかない。(一部略)
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