06/11/11 19:26:07 CIv2H/km0
ゆとり教育に反対する皆さんの中で、
自ら持つ能力・成果を「ねたまれた」ことが、どれくらいある?
1度も無い人間は、ゆとり教育を語る資格は無いと思っていい。
なぜなら、理解できないはずだからだ。
現在の社会ではねたまれるような個人が持つ特別な資質を出来るだけ高めて、
その数を増やせば、やがて経済に大きく貢献することになる。
こう言った大局的な見地からの発言も出来ず、安に「こんな文字が読めない」とか
「円周率の桁数が・・・」など笑止。
そんなもの、社会に出て必要があれば、いくらでも覚えられる。
肝要であるのは、子供の時分から、自分だけが持つ特別なセンスに気付くことだ。
誰でも一つくらいはある。それを子供の時分から伸ばすかどうかは、重要な問題だ。
それを伸ばせなかった、もしくはその努力を嫌った(怠った)挙句の"凡人の大人"の
発言など取るに足らん。
そう言った大人がやっていることの代表例が、官公庁の不祥事だ。
根幹にある考え方は、まさに子供そのものだ。
また子供の特別なセンスを伸ばすことは、「いじめ問題」の解決にも効果が期待できる。
子供は、同級生に自分がとても出来ないようなことが出来る人間には、本能的に
暖かく接するようになる。
ゆとり教育で特別なセンスが活かせれば、どれほど助かる子供がいることだろう。
一律で均質な学力を求めることは、無意味な競争にエネルギーを費やすだけの徒労である。
しかし、一方で「評価のしやすさ」から、それを維持しようとする者達が存在する。
大局的見地からは、このような者こそ処罰されるべきである。
なぜなら、「自分中心の論理の易きに流れている」からである。
人間は脳を武器とするが、その武器の内容は千差万別である。
それを一律にしてしまうなど、実に馬鹿げていると思わんか?