06/11/05 23:20:23 cfnEJufj0
普段は「議論すべきだ」と言っているのに、核保有に関して「議論すべきだ」という発言に対し
ては「ケシカラン、発言すべきではない」と普段の主張とは違う奇妙なことを言っている勢力が
いる。これは要するに、言論の自由を否定した、サヨクの決め付けでしかない。
そもそも「言論の自由」とは、民主主義の多数決原則を実践する際に、多数決をする前に様々な
意見を開陳する機会を保証し、多くの意見を知った上で投票することを原則とする考え方である。
当然の様に各種意見を聞いた後の多数決の決定後は、多数決原則にのっとり決定内容に不満など
があっても、決定に従うのが多数決原則である。
「言論の自由」と「多数決原則」は各々が民主主義の基本的要素として深い関連があり、言論の
自由なき状態では、判断に必要な情報が不足し、まともな決定ができない状態となるのである。
北朝鮮が核兵器を保持していることが明確になったが、こういう状況での確実な自衛のために、
我が国国民の生命・財産を守るために、どんな対策を採るのかという議論をもっともすべき情勢
にある。議論の選択肢には核兵器を持ち対抗する案を議論する前から排除するのは思考停止・脳
死状態でしかない。核兵器を持ち対抗するのか、イスラエルの様に自衛的空爆を行うのか、ある
いはBMDを早急に導入するのか、そういう議論を今すべき時期にきている。
そんな状況下でさえ「核保有の議論をすることが許されない」と言うのは、我が国に「日本人の
生命など近隣特定アジアに比して二の次、三の次と考える日本人がキライなサヨク」がいまだに
いることの証明である。まともな防衛論議さえ出来ないバカな風潮を繰り返すべきではない。
サヨクの言う「言論の自由」とは、自分が好きなサヨクインチキ言説を言いふらす自由のことで
あり、自分が嫌いな言説には言論以外の方法を用いてでも封殺するものであり、本当の意味の
「言論の自由」からは一番遠い最悪の行為をしているのである。