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シュレーディンガーの安倍
まず完全に防音の、フタのある箱を用意し、この中に靖国神社に参拝するかも
知れないやつを一人入れる。箱の中には他に、「全自動反日マスコミ装置」を
入れておく。もし箱の中で安倍総理が靖国参拝した時、反日マスコミ装置はそいつを
叩くが、靖国参拝しなかった場合は叩かれずにすむ。この実験において、中の人が
「公式参拝」と言うかどうかは完全に確率の問題である。仮に中の人が我慢できずに
1時間で「参拝します」と言う確率が50%として、この箱のフタを閉め、1時間
放っておくと、彼は叩かれているだろうか? 無事でいるだろうか?
確かに確率を用いて記述することもあるが、原理的には「中の人」の状態は二通り
しかない。量子論においては、その状態は原理的に死と生の重ね合わせであり、
どちらか一方だけをとるのではない。つまり、箱の中の人は半分無事、半分
叩かれているという奇妙な状態が続いていると考える。そして観測者が箱を
開けた瞬間、中の人の状態群が一つの状態に収束する。このような考えは
論理的には誤っていないが、余りにも日常感覚とかけ離れているため、
物理的実在と日常的実在をどう統合させるかが、現代哲学において大きな問題
となった。これを「シュレーディンガーの安倍」と言う。