06/09/20 20:02:10 Jl9qhP3n0
[1:朝日のキャンペーン記事と宮沢訪韓]
平成4年1月に宮沢首相が韓国を訪問するのに狙いを定めて、その5日前の
平成4年(1992年)1月11日の朝刊から、朝日新聞は朝鮮人慰安婦のキャンペーン記事を掲載しました。
見出しだけでも「慰安所、軍関与示す資料発見、民間任せ政府見解揺らぐ」、
「部隊に設置指示、募集含め統制・参謀長名で、次官印も」、「<謝罪を><補償を>の声さらに」等々でした。
このキャンペーン記事は朝日の予想通り大反響をを呼び、
日本国内や韓国のマスコミにも詳しく報道され、日本政府は慌てふためいて情報の確認、
分析や反論もしないまま、宮沢首相は早々と3日後の記者会見で
「軍の関与を認め、お詫びしたい」と発言する始末でした。
その後訪韓した首相を待ち受けていたのは大勢の反日抗議デモで、
天皇の人形が焼かれたり、名乗り出た元慰安婦が座りこむなど、反日デモが荒れ狂いました。
[3:事実よりも政治的決着を優先]
宮沢総理が訪韓した際に、従軍慰安婦の件について謝罪することになった理由は
1. 吉田清治の嘘の証言。(朝鮮における従軍慰安婦その1に記載)
2. 朝日新聞のセンセーショナルな世論誘導報道。
3. 慰安婦原告第1号である、金学順の証拠能力の無い証言。(朝鮮における従軍慰安婦その1に記載)
[4:密約外交の代償、痛恨の河野談話]
第1次調査では従軍慰安婦募集の強制性は見つからず、韓国政府も当初はそれほど
この問題に積極的ではなかったため、これで収まると思った。
当時外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援団体が押し掛け、
泣き叫ぶようなありさまだった。
最後まで迷いました。あれは両国関係に配慮してそうしたわけです。
真実よりも外交的判断を優先させて、慰安婦の証言だけで結論にもっていった。
---批判は覚悟している。
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