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東京裁判で有罪とされた人々の合祀は1959年に始まり1978年に
14人のA級戦犯を合祀して終了した。この間、中国を含め海外から
一切抗議はなかった。1979年、大平首相が、1980年と1981年鈴木首相が
参拝したが、何の問題も引き起こさなかった。1982年教科書問題が
日本を襲った当時も中国は教科書問題を取り上げるのみでA級戦犯の
靖国合祀には一切言及しなかった。
中曽根首相が1983年、1984年に靖国参拝した時に至るも何ら問題は
生じなかった。つまり靖国問題はわずか16年前の1985年からなのである。
戦後政治の総決算を掲げた中曽根首相は1984年に靖国神社問題についての
諮問委員会を設置し、1985年8月15日に靖国を公人として参拝した。
その直前の8月7日に朝日新聞は、中国は靖国問題について日本の動きを
注視している、と報じた。当時の「人民日報」や新華社電を精査しても
そのような中国の動きはまったく存在していない。
人民日報はこの朝日の記事を受けて8月11日付けで、日本国内に首相の靖国
参拝に批判的な動きがあると報じた。ついに8月14日、中国政府スポークスマン
は中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人(中国人民)の感情を傷つけると
正式な反対表明をするに至った。
かくして「無」から「有」が生じ、日中間で互いに相手国で靖国が斯様に
論じられ報じられていると木霊のような遣り取りが始まった。