06/09/06 14:37:02 PkDbwG8C0
んじゃレポート書く。
本当はかなり長いんだが分かりやすいように簡潔に書く。
①部落行政を行うキッカケ
→昭和40~50年代にベッドタウン化した際に元々あった朝鮮部落(主に川沿い)の人間が
地価高騰及び利権を狙う為に一部の朝鮮人が居座り&行政に圧力を掛けた。
しかし思惑はハズれ宅地開発は山間部をメインに行われる事になった。
しかしガメツイ朝鮮人は土木の分野で利権を得た。(高槻の住宅が積水が多いのは何故か?)
②元々部落は2種類あった。
→高槻には朝鮮部落と被差別部落の両方があった。(場所は書けない)
被差別部落のほうは本当に可哀相な差別を受けていたが、改善された。
朝鮮部落については行政も支援などを行っていた事実がある。支援を積極的に行なえた理由としては
市議会議員の大半が社民・公明だという事で納得が行く。
③何故朝鮮部落だけが残るのか?
→そもそも現在では部落としては小規模のものである。他府県からの人口流入に伴い部落と呼べる地区は
少なくなってきた、それに伴い市民の差別意識も無くなりつつあった(しかし大半は差別意識を持っている)
続く