06/08/26 07:28:27 W4Nu+U6k0
第二に、
「君が代」は平安時代に既に歌われていた君が代は、鎌倉時代以降になって、
神事や宴席の最後に歌われる祝歌として一般に広がり、江戸時代
に至ると物語、御伽草子などの文芸、浄瑠璃、謡曲などの芸能に
も登場するようになった。
このように人々に歌われるうちに、いつしか、より語感の澄ん
だ「君が代は」と変わり、平安後期から鎌倉初期に広く歌われて
いた和歌・漢詩を集めた「和漢朗詠集」には、現在の形で登場し
ている。
江戸初期には、隆達節(りゅうたつぶし)という小唄がはやる
が、その中で君が代は恋の小唄として唄われたようだ。
明治2年、薩摩藩の砲兵隊長・大山巌(後の元帥、元老)らが、
国歌の選定にあたって、平素愛唱していた君が代を選んだ。君が
代は薩摩藩では祝賀の歌として用いられ、また薩摩琵琶の「蓬莱
山」にも、取り入れられている。
江戸の小唄から薩摩琵琶まで、全国津々浦々で親しまれていた
ことが分かる。国歌として急速に定着したのも、こうした基盤が
あったからであろう。
いずれにしろ、君が代は、長命を祈る歌、お祝いの歌、さらに
は、恋の歌として、千年以上も日本人に親しまれ続けてきたので
ある。いずれも相手に対する「まごころ」を贈るものであり、戦
争とか侵略とかとはまったく無縁の、平和そのものの歌であった。
歴史を大事にしろっていいながら、
この国歌を否定するのはおかしいよねぇ。
ここまで平和的な国歌は珍しいよ。