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昭和12年7月 7日 支那側からの発砲がきっかけで盧溝橋事件勃発。
昭和12年7月 9日 現地停戦協定により一旦終息。
昭和12年7月10日 200人以上の支那兵が迫撃砲で攻撃再開。
昭和12年7月11日 現地停戦協定により一旦終息。
昭和12年7月13日 北平(北京)大紅門で日本軍トラックが爆破され日本兵4人死亡。
昭和12年7月14日 団河で支那兵の襲撃により日本兵1人死亡。
昭和12年7月20日 盧溝橋城の支那兵より日本兵に対し一斉射撃。
昭和12年7月25日 電線を修理していた通信部隊及びその援護部隊
が支那軍の包囲攻撃(小銃、軽機関銃、迫撃砲)を受ける。(廊坊事件)
昭和12年7月26日 北平広安門通過中の日本兵が城壁上の支那兵よ
り一斉射撃を受ける。(広安門事件)
昭和12年7月29日 3千人の支那保安隊が220人以上の在留邦人
を虐殺する。(通州事件)
停戦協定を結んだにもかかわらず、支那側はこれら事件を次々に巻き起こしたのだ。
これだけでも開戦の口実に十分足るにも関わらず、日本は外交交渉での解決を目指した。
そして、支那側に最大限譲歩した和平案を用意し、上海において支那側との和平交渉に望む予定だった
8月9日当日、支那保安隊による大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵虐殺事件が起こった。
続いて、支那政府は、英米仏伊四ヶ国の斡旋で締結された上海停戦協定に違反して次々と正規軍を上海に投入、
8月13日に日本海軍陸戦隊(国際条約により駐留)を包囲攻撃し、支那空軍も日本海軍の「出雲」や総領事館を爆撃し、
上海南京戦区の張治中司令官は総攻撃を命じた。
支那空軍は日本海軍や総領事館だけでなく支那市民や他の外国租界の建物まで空襲して爆弾を投下し、
多くの犠牲者を出し、8月15日の張治中司令官の記者会見で日本海軍航空隊が上海を空襲し陸戦隊が砲撃
していると嘘を発表した。その結果一気に反日感情が高まった。これで日本軍の侵略が世界を駆けめぐった。
完全に支那の謀略である。