06/08/20 00:37:57 YIdv2Mof0
大正の末、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です。
氷濤の中、果敢に操業していたある日、突然ソヴィエトの警備艦艇にいわれ無く拿捕され、乗組員一同、ウラジオストックに連行されました。
取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるかと思った程ださうです。
ありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鉄格子の中から引き出されました。
いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、捜査は打切り、無罪放免。ロシア紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するではありませんか。
解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました。
天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです、半信半疑のまま。ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました。
その瞬間、何故、助かったかが判りました。
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ。
陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです。
旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。
皆、感泣しました。
鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで‥‥
当時と国際情勢が違うのは勿論承知しているが、それでも情けないと思わざるを得ない。