06/08/12 01:05:13 xMr2ZLOw0
575 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/08/11(金) 17:06:29 ID:SQAFXKh40
文藝春秋読んだ。秦と半藤によると
1.富田はメモ魔で、そこらにあった紙に書いたものを手帳・日記に貼っていた。
他の日もそういうこと多々。
2.他の日にも松平宮司批判、中曽根、奥野、藤尾正行、といった靖国について発言した人間の名が出てくる。
(とりわけ奥野国土相が靖国・中国発言<鄧小平のせいで・・>について「嫌だ」と言ったらしい)
3.分析によると、遺言の性格が強いらしい。晩年は内廷的な侍従長ではなく、頻繁に公的である富田長官を呼び出して談話していた。
こんなとこかな。
頻繁に靖国への不快感を書き留めた部分があるとのこと。
とりもなおさず、松平宮司への不信感は相当なものだったらしい。
平泉澄の弟子だったことが余計に気に食わない(キヨシにとって福井藩主の主筋)。
君主が誤っていたら、諫言するのが臣のつとめと思い込む松平。
A級戦犯合祀も、宮内庁の批判を「勉強不足」とつき返す。
浩宮の留学に反対する旨を言上。宮中に不快感をもたらしたと入江侍従長日記にある。
もともと平泉とソリの合わない昭和天皇。
戦前・戦中のはねっ返り将校どもを苦々しく思う。
平泉が御前講義で後醍醐天皇を賛美すると、
「恩賞に不公平があったのでは」とやりかえす。