06/08/12 00:39:34 hLaHJlop0
>>916
これだね?
しかしこの記事は、富田氏が28日にブリーフィングをしただろう傍証にもなるよ。
三十分間だったものが事前の話し合いで10分となり、多少延びて17分。
新潮が話を聞いた元宮内庁記者が、事前の話し合いからの細かな事情をいわずに
「ご体調がすぐれず半分の時間になった」と言った、あるいは、新潮が縮めて書いた、と。
10分に縮めるについては、「手術後でご体調もすぐれず」というだろうし。
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天皇陛下の記者会見を前に、宮内庁と宮内記者会の間で「綱引き」があった。
日本人記者が初めて陛下と会い、言葉を交わしたのは敗戦後間もない二十年末。その後、宮内記者会と陛下の会見は数回あり、三十六年からほぼ年一回が定例化、六十年からは誕生日前に約三十分間行われてきた。
今回は宮内庁側から、会見は十分間程度で、質問も五項目ぐらいに、と要望があり、関連質問も遠慮して欲しいと非公式に意向が記者会に伝えられた。
記者会では質問事項を取りまとめ、総意で六問を選んだ。手術、沖縄のほか、天皇陛下が米軍の沖縄占領継続を望んだのではないか、と国会でも取り上げられたいわゆる「天皇メッセージ」問題、戦争責任や広島への原爆投下についてもお考えをお尋ねしようという内容。
二・二六事件についてなど五項目は文書で回答を頂きたい、と申し入れた。
しかし、宮内庁は「これでは会見は実現できない」と、変更を求めた。記者会は論議を重ね、結局、会見を実現するため質問を作り直すことを決めた。
会員の一部には「会見実現のために譲歩した方がよい」との意見もあったが、表現を変え戦争についても質問することになった。
最終的に同庁もこれを受け入れ、会見が実現したが、手術の際のお気持ち、皇后様のご体調、戦争の最大の原因についての質問は文書提出していない関連質問だった。