06/08/11 02:12:28 G0iBuRt50
>>112続き
だから多くの現場にいた欧米人達は真相を知っていた。つまり蒋介石政府が計画的に日本海軍陸戦隊2500人を
殲滅しようと数十万の兵を動員したのである。手始めに8/9虹口飛行場近くで大山中尉と斉藤一等水平を虐殺し、
英米仏伊四ヶ国の斡旋で締結された上海停戦協定に違反して次々と正規軍を上海に入れ、8/13に日本陸戦隊を
包囲攻撃し、支那空軍も日本海軍の「出雲」や総領事館を爆撃し、上海南京戦区の張治中司令官は総攻撃を命じた。
支那空軍は日本海軍や総領事館だけでなく支那市民や他の外国租界の建物まで空襲して爆弾を投下し、多くの
犠牲者をだし、8/15の張治中司令官の記者会見で日本海軍航空隊が上海を空襲し陸戦隊が砲撃していると嘘を
発表した。その結果一気に反日感情が高まった。これで日本軍の侵略が世界を駆けめぐった。支那の謀略である。
その謀略の裏に更に謀略があったのだ。(続く)
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実は蒋介石は張治中に日本軍を攻撃するな。命令を待てと再三、張司令官を制していた。しかし張司令官は独断で
蒋介石の命令を聞かなかった。蒋介石は骨の髄まで反共であり、日本軍より毛沢東の共産軍を掃討したかったが、
前年(1936年)の西安事件では張学良に捕らわれ監禁されて後に周恩来の仲介で解放された。
かねてから張学良は野心があり、毛沢東に近づき奸計をはかって西安で蒋介石幽閉を持ちかけた。逆に毛沢東は
蒋介石を殺すよう煽った。
ところがスターリンから蒋介石を殺してはならんと張学良は叱責を受け非難された。スターリンは蒋介石支持を
明確にした。そこで毛沢東はスターリンの支持に従った。毛沢東は権力奪取までは全てコミンテルン(スターリン
の指導の基に表面上は忠実に動いた。スターリンと毛沢東はお互いに疑心暗鬼であったが、権力奪取に到る
暴虐性は相身互いで性格は似ていた。
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