06/08/11 02:10:20 G0iBuRt50
非常によくまとめられているので紹介させていただく。おまいらも真実を広めるのに手を貸してくれ。
motoさん断りもなくスミマセン。
引用開始
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日本の保守論壇でも廬溝橋事件が中共の謀略であるということは、ほぼ定着している。昭和20年12月8日の
連合軍総司令部編の「太平洋戦争史」に基づけば、廬溝橋の紛争で終わっていたら日中全面戦争にならなかったのに、
日本が支那の軍事と経済の中心である上海で戦争した事から日中全面戦争に発展したのだと主張している。つまり、
廬溝橋の紛争、第二次上海事変という一連の出来事こそが日本の中国侵略の証だというのだ。
このことは占領軍の「太平洋戦争」史観を切り崩せば60年間も続いた戦後民主主義、侵略贖罪史観を払拭できることになる。
そこで当時を振り返ってみる。その時代も上海は国際都市であり、多くの欧米の特派員がおり各国のビジネスマンも
大勢いた。ニューヨーク・タイムズのハーレット・アーベンツ特派員の見解を引用する。
「日本ハ第一次上海事変ヲ繰リ返スヲ好マズ忍耐、隠忍以テ極力事態ノ悪化ヲ防止セント努メタルモ、支那ニ於ケル
外国権益ヲ渦中ニ引キ込ムヲ企画シタル支那人ニ依リテ日本ハ文字通リ戦争ニ押シ込マレタルナリ」(※日本は
第一次上海事変を繰り返すを好まず忍耐、隠忍以て極力自体の悪化を防止せんと努めたるも、支那に於ける外国権益を
渦中に引き込むを企画したる支那人に依りて日本は文字通り戦争に押し込まれたるなり)
当時の上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の三行政区域に分かれていた。
自国民を守るため、米軍2800人、英国軍2600人、日本海軍陸戦隊2500人、仏軍2050人、伊軍770人がいた。
日本を含めて各国軍隊が勝手に土足で踏み込んだのではない。北清事変の議定書という国際条約により数十年間の
歴史に由来する法的権利により駐留していた。
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