06/07/28 14:19:07 ThuvHLv10
『福翁自伝』 福澤諭吉・著
又私は、酒のために生涯の大損をして其損害は今日までも身に附て居ると云う。
其次第は、緒方の塾に学問修行しながら、兎角酒を飲んでよいことは少しもない。これは
済まぬことだと思い、あたかも一念ここに発起したように断然酒を止めた。
スルト、塾中の大評判ではない、大笑いで「ヤア福澤が昨日から禁酒した。コリャ面白い。
コリャおかしい。いつまで続くだろう。とても十日は持てまい。三日禁酒で明日は飲むに違いない。」
なんて冷やかす者ばかりであるが、私もなかなか剛情に辛抱して、十日も十五日も飲まずに
居ると、親友の高橋順益が「君の辛抱はエライ。よくも続く。見上げてやるぞ。ところが、
およそ人間の習慣は、たとえ悪いことでも頓に禁ずることはよろしくない。とうてい出来ない
ことだから、君がいよいよ禁酒と決心したらば、酒の代りにタバコを始めろ。何か一方に
楽しみがなくてはかなわぬ。」と、親切らしく云う。
ところが、私はタバコが大嫌いで、これまで同塾生の煙草を喫むのを散々に悪く云って、
「こんな無益な不養生なワケの分からぬ物を喫む奴の気が知れない。何はさておき、臭くて
きたなくてたまらん。おれのそばでは喫んでくれるな。」なんて愛想づかしの悪口を云って
いたから、今になって自分がタバコを始めるのはどうもきまりが悪いけれども、高橋の説を
聞けば、また無理でもない。
(つづく)