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昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ
以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に
語っていたことが19日、日経新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は
1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和
天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての価値も高い。
靖国神社に参拝しない理由を昭和天皇が明確に語り、その発言を書き留めた文書が
見つかったのは初めて。「昭和天皇が参拝しなくなったのはA級戦犯合祀が原因では
ないか」との見方が裏付けられた。
富田氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。日記は
同庁次長時代も含む75-86年まで各一冊、手帳は86-97年の二十数冊が残されていた。
靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で、手帳に張り付けてあった。昭和天皇
はまず、「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文まま)まで
もが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と語ったと記されている。「松岡」、「白取」
はA級戦犯の中で合祀されている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使。「筑波」は
66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら、合祀しなかった筑波藤麿・
靖国神社宮司(故人)を指すとみられる。
さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあっ
たと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。
それが私の心だ」と述べている。「松平」は終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平
慶民氏(故人)と、その長男で78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の松平永芳・靖国
神社宮司(同)を指すとみられる。
天皇が参拝しなくなった理由についてはこれまで、「A級戦犯合祀が原因」「三木首相の
参拝が『公人か私人か』を巡り政治問題化したため自粛した」との二つの見方があった。
現在の天皇陛下も89年の即位以降、一度も参拝していない。(一部略)
日経新聞06.07.20朝刊トップ記事
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