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2002年7月19日 ■天声人語■ ペットボトル原爆
昔はこんなに水を飲んだだろうか、と思うときがある。ペットボトルの水のおかげである。
あれを持ち歩く習慣がついてしまった。水事情が良くない海外を旅行したときからの習慣かも
しれない。水が手元にないとつい不安になる。
手元にあると無意識のように口をつけてしまう。本格的な渇きを感じる前に飲んでしまう。
水の存在が疑似的な渇きを招いているのではないか、と反省するときもある。欲求
があって何かを欲しがるのではなく、何かが目の前にあるから欲求が生まれる。
水ではなくお茶の人もいるだろうし、あるいはスナック菓子の人もいるだろう。そうした
飲食物だったらまだいい。しかし、もっと別の物で同じ心理が生じるとすると……と考えて
不安を覚えることがある。たとえば武器である。
昔の武士は試し切りというのをしたらしい。いい刀を手に入れると使ってみたくなる。
わら人形相手ではつまらない。そういって実際に人間を相手に試し切りをしたという。
そこまでさかのぼらなくても、最近の戦争でも似たようなことがあったという話はよく聞く。
殺傷の欲望を、手にした武器が促す。
究極の武器といえば核兵器に行き着く。インドとパキスタンとの緊張がまた高まっている。
核保有国の両者が自制できるかどうか。ペットボトルの水をにらみながら核戦争の恐怖に
おびえる。あまりに極端な連想かもしれないが、人間の欲望と自制との関係という点では、
同じだ。
ものと欲求との関係が転倒しやすい時代だ。気をつけないと、みるみる深みにはまる。