06/04/19 01:18:47 X/GW+k/80
殺してやりたいと思うことと、実際に殺して良いかは、別の問題です。
もし、あなたの友人の家族が殺されて、その友人が犯人をその手で殺そうとしたらあなたはどうしますか? お前の気持ちはよく分る。殺してしまえ。俺も手伝ってやる。と言うでしょうか。
それとも、お前の気持ちはよく分る。でも殺してはいけない。我慢しろ。と、止めるでしょうか。
あるいは、あなた自身の肉親が殺された時、あなたに犯人を殺せというのが友でしょうか、それとも止めてくれるのが友でしょうか。
いかに極悪非道な行いをした人間であるからといって、私達にその人間の命を奪う権利があるのでしょうか。
死刑が、それ自体、またあらたな殺人であることは、否定のしようがありません。死刑を認めるということは、私達が殺すということです。自分が殺すということです。私達は、なぜ殺人を犯しても良いのですか。
その殺人を誰かに(刑務官に)押し付けても良いのですか
死刑は、悪人に彼が犯した罪と同じ目をあわせるだけだと言われるかもしれません。では、暴力犯は皆で殴って良いのですか。放火犯の住居は燃やして良いのですか。轢き逃げ犯は轢き殺して良いのですか。
カール・B・レーダーの「死刑物語」によれば、死刑の起源は血の復讐と人身御供にあると言います。死刑は、理性的な司法の手段ではないのです。