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コピペ
日本の国富の源泉とは、技術開発の研究所とか、製品の製造工場が日本国内に存在し、
日本が保有する唯一の資源=均一に教育された労働力=「人間力」を駆使してこそ
「資源」を「資産」に変換することが可能となる。
その結果として国富が発生し、その国富で消費ができる。
人間生活の豊かさとは、 人間と人間、地域と地域とか、相対的な基準で決められる。
仮に 人類全体が豊かになったとしても、個々の人間、地域間から見て、
『アイツより、オレの方がマシ』
みたいな相違感でしか、自分の豊かさを確認することが出来ない。
人類の歴史を ひも解いて、今の自分は昔の人間より豊かな生活で暮らしているから、
現在の自分の生活は「豊か」と実感する人間は非常に少ない。
”中国人が豊かになれば どこかの誰かが 貧しくなる。”
それなのに日本の国益、国民財産の保護育成よりも、一部グループの利益追求にいそしみ、
その後で、一般大衆に向かって「日本の国益とは?」と言われても、それを聞かされる側の一般国民からすれば、
我々は国家から「見捨てられた」と受け止め、しらけてしまう。
特別な組織とか階層にのみ「国富」が還元するシステムが形成されてしまい、
先ずそのシステムを維持継続することを前提にして、その後で大多数の一般国民の利益云々をご検討されても、
一般国民には「本音」とされてる隠された部分が、なんとなく見えてるだけに、なんか白々しい。
URLリンク(www.geocities.jp)
『ニートが作る一億2000万人の食事』より抜粋
(続く)