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「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして
言語に絶するものあり」 (阿南惟幾元陸軍大将 S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)
(上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて)
「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。従って同君
の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し、
これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに
忍びざるものありたり」 (真崎甚三郎元陸軍教育総監 『真崎甚三郎日記』S13.1.28)
「南京への進入にあたって松井大将が隷下に与えた訓示は、ある部分、ある層以下には、浸透し
なかったらしい。外国系の報道の中にはかなりの誇張や中傷の事実は認められたし、特に中国軍
の特質などから、避け得なかった事情もあったようであるが、いずれにせよ、後日戦犯裁判に大
きく取り扱われ、松井大将の絞首刑の重大理由をなしたような事実が現われた」
(河辺虎四郎元陸軍参謀次長 『市ヶ谷台より市ヶ谷台へ』)
「しかし、駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、我
軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」 (重光葵元副総理 『続 重光葵手記』)
「電信専門の(外務省)官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。敗
走する中国軍を追って南京を占領(昭和十二年十二月十三日)した日本軍が、筆舌を絶する乱暴を
働いた事実である。あまりに乱暴狼藉がひどいので、石射猪太郎東亜局長が陸軍軍務局長に軍紀
の是正を求め、広田外相も陸軍大臣に強く注意して自制を求めた。軍は参謀本部二部長・本間少
将を現地に送って、ようやく事態は沈静に向かった」 (法眼晋作元外務政務次官 『外交の真髄を求めて』)
「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知ってい
ました。(中略)南京虐殺があったとかなかったとか論争があるようですが、当時も関係者の多
くは事実を知っていたんです」 (徳川義寛元侍従長 『侍従長の遺言』)