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葬灰棺咲(そうはいかんざき)
死体の埋まった土の上に生える桜は残酷なほどに美しい花を咲かせると言われる。
その桜にまつわる話の一つに、江戸時代に主を命を懸けていさめようとした男の話がある。
江戸時代中期、大きな争いもなく世は平和であった。
しかしその原因が参勤交代の制度により各藩が疲弊しきっていたからであるのを忘れてはならない。
富山藩主は凶作に悩む領民に対し重税をかけようとした。当時の家老 遠藤端水はそれを諫めようとした。
しかし若い藩主は古くから藩に仕えた家老の進言に耳を貸そうとはしなかった。
家老は嘆いた、このままでは富山藩は衰退すると感じた。
そして、藩主とある賭をした
それは富山藩に古くからあるがすでに花の咲かなくなった桜を、
家老の独力で咲かすことが出来たら家臣の進言に耳を貸すという内容であった。
家老は必死に桜を咲かそうとしたが、いっこうに咲くことはなく ついに病に倒れた。
そして病床で自らの息子に自らの死体を焼き、桜の下に埋めてくれとたのんだ。
息子は願いを聞き届け、灰を桜の下に埋めた。
そして、次の春 桜は見事な花を咲かせ、藩主の心を動かしたと言われる。
人々は、あまりにも美しいその桜の花を「葬灰棺咲き」とよんだ。
この話は有名な童話「花さか爺さん」にも受け継がれたと言われる。
主を諫めるために自らの命をかける。これのような話は多くの国で美談とされ 現代でも用いられる。
ある党首は自らの生命をかけて国を変えようとする様をアピールするために「葬灰棺咲」を持ち出した。
しかし、中途半端な覚悟で「葬灰棺咲」を持ち出したことに多くの国民は怒りを覚えた。
それほど葬灰棺咲は国民の中で美談とされているのである。
民明書房刊「桜の精神文化」より