05/06/02 21:09:30 Za5Z+dyD
■5."恥ずべき"最後通牒■
ハル・ノートによって、日本政府は米国には交渉意思がないと
最終判断を下し、12月7日(現地時間、日本では8日)にパー
ルハーバー攻撃に踏み切った。翌日、ルーズベルト大統領は下院
議会上で、次のように演説を始めた。
昨日すなわち、1941年12月7日は、恥ずべき行いの日と
して永遠に残るでしょう。合衆国は、突如、しかも故意に攻
撃されたのであります。[6,p164]
当時の共和党指導者ハミルトン・フィッシュ議員は、下院での
日本に対する宣戦布告決議の最初に演説し、「米国内で論争、対
立をすべき時は過ぎた。今や行動をとるべき時である」と述べ、
ルーズベルト大統領のもとに団結するよう訴えた。立場の違いを
乗り越え、祖国の危機に立ち上がろうという憂国の至情あふれた
演説であった。
しかしハル・ノートの内容を知った後で、フィッシュ議員は次
のように憤る。
今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後
通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したということを知
っており、この演説を恥ずかしく思う。[6,p47]
この最後通牒に言及するにあたっては、ルーズベルトがパ
ールハーバー攻撃を"恥ずべき行いの日"と呼んだことにちな
み、"恥ずべき"最後通牒と呼ぶことが適切かと思われる。
[6,p38